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2008年11月分


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2008/11/28

   「新世界」
(ドヴォルザーク交響曲第9番) の話
アントニン・ドヴォルザーク
(1841-1904)「新世界より」
は51歳(1983)のアメリカに
招かれた翌年の作品


 「新世界」 と言えば日本で最も演奏される人気交響曲の1つだが指揮するのはめっちゃ難しい。傑作中の傑作で音楽的にも指揮のテクニック的にも難しいのだ。

実は今から20年以上前に僕がイギリスに留学する前に学校の音楽教室のコンサートで 「新世界」 を指揮したことがある。
産まれて初めてのプロのオケ(広島交響楽団)で僕は全く振れなくて自滅した。


次に 「新世界」 を指揮したときの相手はチェコフィル。プラハの国際指揮者コンクールでファイナリストに選ばれたときのことだが、 この時はなんかCDを指揮してるみたいでチェコフィルはびくともしなかったことしか記憶にない。

コンクールの結果は審査委員長のクーベリックが 「誰もドヴォルザークを理解してない」 (僕以外の2人もドヴォルザークの他の交響曲を指揮した)と言って誰も優勝しなかった。

僕は 「デビューもしてない若造がチェコフィル相手にドヴォルザーク振れる訳ないだろ!」 と悔しい思いをしたもんだ。


ところでこの 「新世界」 はチェコ人のドヴォルザークがアメリカに招かれて、アメリカの音楽院の院長をしていたときに作曲された。

「新世界」 とはアメリカのことで本当のタイトルを直訳すると 「新世界から」 だ。彼がアメリカで影響を受けた黒人霊歌的な主題やインディアンを思わせるメロディ、 まるで荒野を馬車で走ってるような場面もあるが、この曲全体としてはドヴォルザークの祖国チェコへの想いが強くスラブ的だ。ドヴォルザークはチェコに帰りたかったのだ。


また専門的な話になるがとにかく転調が素晴らしい。どこまで転調を楽しんで演奏するかがとても重要。また3、4楽章では他の楽章の主題が顔を出して見事に絡み合う。

またオーケストレーションが素晴らしく、埋もれやすい木管パートをどこまで立体的に響かせられるかも重要になる。

こんなこと書き出したらきりがないが、何より難しいのは、日本では数えきれないほど演奏されるので新鮮味を失いやすいことだ。


僕はいつも 「新世界」 を何度も聴いているお客さんに 「やっぱり新世界っていい曲だね」 と思ってもらえるような演奏を目指してます。


それでは皆さんコンサートでお会いしましょう!


    藤岡 幸夫


 藤岡さんは、1990年プラハ国際指揮者コンクールに出場。
 その時の思い出が 公式ホームページ 「FROM MANCHESTER」 (2006/5/19) に書かれています。

2008/11/27


 仙台に来てます。今日は仙台フィルとの初顔合わせのリハーサル。

仙台フィルは品格があって美しい響き・・・・・・!仙台の街並みもちょっと日本離れしててヨーロッパの冬を思い出した。明日もリハーサルだけど 「新世界」 を2日間リハーサルさせてもらえて嬉しい。本番が楽しみ。

今日は高校、大学の一つ上の亀井先輩が仙台にいてめっちゃ美味しい郷土料理をご馳走になった。劇旨かったです。


亀井先輩と昔話に花が咲く。彼はずっと合唱をやってて先月のマーラーの 「復活」 で30年ぶりに共演して再会した。


彼と話していろんなことを思い出した。


僕は高校1年のときオーケストラを結成した。上級生や大学生まで巻き込んで僕は超生意気だったんだけど、高校2年のときどうしてもそのオーケストラと合唱と共演したくて合唱団も編成して目白のカテドラルの地下聖堂でコンサートをした。

その時合唱の中心にいたのが亀井先輩で、彼に言われて思い出したんだけどあの時僕はどうしてもバッハの 「ヨハネ受難曲」 をやりたいと言い張っていて、それを無理だと僕に言い聞かせたのが彼だった。(結局年末だったので賛美歌をアレンジしたのを演奏した)


いやはや今考えればそりゃ無理だ。怖いもの知らずだったんだなぁ・・・。


このコンサートにはまだ当時桐朋の大学生だった指揮者の大友直人さんが生意気な高校生がいると聴きに来てくれた。


あれから30年以上たってるなんて!


それでは皆さんコンサートでお会いしましょう!

次回は 「新世界」 の話をします。



    藤岡 幸夫
2008/11/25


 昨日の 生野マインホール 雨天にもかかわらずたくさんのお客様ありがとうございました!

生野マインホールはホール内は全部木で出来てる素敵なホールで関西フィルは今回で5度目(僕は去年に続いて2度目)、これからも定期的に長いお付き合いが出来そうですごく嬉しい。


大阪から生野まで特急で2時間なんだけど、この特急電車が最高で、なんと1960年代のディーゼル機関車!(日本で走ってるのはこの路線だけだそうだ。) それでも車内はすごく綺麗に磨いてあって高級なクラシックカーみたいなもんで、車窓から見る小川や紅葉も美しく思わずお弁当を買って食べてしまった。

山に囲まれた駅を降り立って古い街並みをちょっと歩くとこんなに素敵なホールがあるのだから日本ってすごいなぁ。


関西フィル もよく歌ってた。ベートーヴェン自身が 「田園」 について 「自然を描写したのではなく感情を表現した。」 と言った言葉が伝わる 関西フィル らしい演奏だったと思う。
みなさんありがとうございました。
生野駅(兵庫県)で降りて思わず写メしてしまった。60年代のディーゼルの音最高でした。電車マニアの気持ちがちょっとわかった。


寒くなってきたけど、冬はいろんなときに温もりを感じられて好きだ。昔は夏が断然良かったのに歳をとった証拠かな。


それでは皆さんコンサートでお会いしましょう!


PS 「田園」 を振るときいつも思いだすのが僕がまだイギリスでデビューしたての頃この 「田園」 を振ったときの話し。 

3日間連続のコンサートの最終日。
ティンパニは4楽章の嵐まで出番がないが、いよいよ嵐の冒頭、セカンドヴァイオリンが緊張感あるパッセージをすごいピアニッシモで演奏していたが、なんと
遠くからいびきが聞こえる ・・・。

ティンパニ奏者が居眠りしてしまったのだ。突然襲い掛かるフォルティッシモ (ティンパニもでるはずだった) で彼は飛び上がって目を覚まし顔を真っ赤にしてた。笑って吹けなくなりそうな金管奏者たちと、怒り顔のコンサートマスター ・・・・・
以後、 「田園」 の3楽章にくると指揮しながらまだ出番の無いティンパニ奏者をちらちら見る癖がついてしまった。

昨日の 関西フィル のティンパニのエリック君はもちろん大丈夫。嵐に入るまで楽しそうに演奏を見入ってました。


    藤岡 幸夫


※11/24生野公演のEvent Reportはこちら
2008/11/21


  ベートーヴェン 交響曲 「田園」 の話 その2


今週末は関西フィルと大好きな生野で 「田園」 を振る。

「運命」 と 「田園」 がほぼ同時期に作曲されたのは有名な話だ。

当時 ベートーヴェン が熱烈に愛していた恋人 ヨゼフィーネ に一方的に別れられてしまう。(階級の違いから ヨゼフィーネ の姉妹や周りが2人の交際を許さなかった。)
その直後に作曲され始めたのが 「運命」。

その後 ベートーヴェン はある女性と出会い、なんとその女性の大きな屋敷のある敷地内に引っ越してしまう。そこで産まれたのが 「田園」 だ。(この女性と ベートーヴェン が男女関係にあったかどうかは定かでないが、ベートーヴェンの音楽を最も深く理解した女性と言われる。)


「田園」 は僕も大好きでデビュー以来しょっちゅういろいろなオーケストラで指揮してきた。

オーケストレーションがこの時代としてはすごく新しく立体的で各楽器の音色が効果的で色鮮やか、その一方で音楽全体が歌と生命力で溢れる。

また2楽章のオーケストレーションは緻密で繊細。その美しさには鳥肌がたつ。

「田園」 は自然を描写した音楽と言われるが、それだけではなく当時のベートーヴェンの心の歌だ。もともと自然を愛するベートーヴェンだったが、当時は生活環境も変わったことでそれまで以上に自然の美しさが色鮮やかに感じたのだと思う。


ところでこの 「田園」 は最後の 「祈り」 の部分から終わりまでがすごく難しい難曲なのだ。


いつも面白いなと思うのだけどこの最後の部分はコンサートマスターの個性がかなり影響する。
同じオーケストラで同じ振り方をしていてもコンサートマスターが違うと全然違う。テンポの感じ方、フレージング、ダイナミックスと全てが変わる。

これはいい悪いの話ではなくオーケストラの醍醐味、面白さの一つなのだ。
そして(これはどんな曲にも言えることだけど)そのコンサートマスターの個性にぴたりとつける団員さんたちもすごいなと思う。

オーケストラって不思議で素晴らしいとつくづく思う。


さて、今週末の兵庫県の生野は自然の景色が美しく 「田園」 にぴったりで本番前に散歩するのがすごく楽しみ。

関西フィルとも 「田園」 は何度も取り上げてきてるから今回はさらに突っ込んだリハーサルができるのが嬉しい。

それでは皆さんコンサートでお会いしましょう!


PS ちなみに 「田園」 はベートーヴェン自身がつけたタイトルだけど、「運命」 は日本だけのニックネーム。それを嫌がる人もいるが僕は嫌いじゃない。ベートーヴェンの交響曲5番を日本人は堂々と愛着をもって 「運命」 と呼ぶことでこの曲は日本で最もポピュラーな曲になった訳で、それはそれで日本人ってすごいなと思ってる。



    藤岡 幸夫



※2008年1月付ベートーヴェン 「田園」 の話はこちら
2008/11/18


 日曜日は練馬交響楽団とのコンサート。
前にも書いたけど23年前に初めて僕にギャラをくれたオーケストラであのときの団員さんもたくさんいて僕の思い入れも強い。


最初はどうなるかと思ったけど、最後の1週間の追い上げでなんとかなった。

 オーケストラは地元とうまく密着してていつもコンサートを楽しみにしてるお客様がたくさんいて、立派な文化だと感心してしまった。23年ぶりの共演楽しませてもらった。
ありがとうございました。


ところで今回の会場の練馬文化センターにはいろいろな思い出がある。あの頃学生オーケストラのコンサートをよくここで指揮した。

一番の思い出は僕が自分で組織したオーケストラの本番当日に何十年に一度と言われる大雪になってJRも私鉄も全部ストップ。それでも団員たちは気合いでホールに集まってコンサートを強行。お客さんはたったの40人。それでもみんなめっちゃ盛り上がった。
メインがベートーヴェンの7番だったのを覚えてる。


演奏会後僕の中古のおんぼろだった愛車は雪に埋もれていてエンジンはかからなくなるわ、なんとハンドルがとれちゃうわで散々だったことを思い出した。


練馬文化センターには他にもいろいろな思い出があって懐かしかった。


 さて昨日は 高嶋 ちさ子 さんのFM番組の収録。
彼女はみかけによらず毒舌で頭の回転が速いから話ししてて面白いし楽しかった。
ありがとうございました。


スタジオ近くの表参道の紅葉がすごく綺麗で1時間ほど散歩して帰った。


今年は例年に比べて紅葉が色鮮やかで美しい ・・・。


 それでは皆さんコンサートでまたお会いしましょう!



    藤岡 幸夫


2008/11/13


 今週の日曜日は思い出深い練馬交響楽団とコンサート。

今から20年以上前、僕が23歳のとき松尾葉子先生のアシスタントとして何度もリハーサルを指揮させてもらった社会人オーケストラだ。

それまで僕は学校のオーケストラや自分で組織した学生オーケストラを振ったりしてたけど、もちろんお金なんかもらえない。


練馬交響楽団は初めて指揮をして (リハーサルだけだったけど) ギャラをくれたオーケストラなのだ。

その頃は何度もリハーサルを指揮させてもらったし、ビデオカメラを持ってる団員さんに指揮姿を映してもらったり (僕はビデオカメラを持っていなかった) 、コンクール前には無理やり皆さんに集まってもらって課題曲の練習に付き合ってもらったりした。 (ちなみに本番は一度も振らせてもらえなかった)


社会人オーケストラとのお付き合いはなかなか時間がとれなくて難しいのだけど、今回依頼を頂いたときはマネージャーさんになんとかスケジュールを調整してもらった。


あれから20年以上たって指揮台に立ったけど練習室も同じ、覚えてる顔もたくさん (お互いに歳をとりましたが) でびっくりしたしすごく懐かしかった。


100人からの大所帯だけど、あの頃からいる団員さんが30人くらいいるそうで、それって素敵なことだと思う。


リハーサル後に歓迎会をしてくれて昔話に花が咲いて楽しかったが、あの頃仲良かった年配のチェロのおじさまに

「フジオカ〜、お前食えるようになってホントに良かったなぁ ・・・」

 いやはや ・・・・・ (笑)


 それでは皆さんコンサートでお会いしましょう!


PS リハーサルの合間をぬってカミさんと紅葉を見に行ってきた。 日本の秋は本当に美しくて深い。紅葉だけでなくこの時期の緑もいろいろな色を楽しめる。
大好きな山の香りを満喫してきた。


    藤岡 幸夫


2008/11/12


   「バッハ」 の話・・・その1

 リハーサル、コンサートが続くと頭のなかがスコアでぱんぱんになる。

そんなときに頭をすっきりさせてくれるのがバッハだ。休みの日に中学生の頃使ってた平均律の楽譜を引っ張りだして弾いたり、CDを聴いたりすると、 何故か頭がすっきりする。

聴くなら昔はグールドにはまってたけど最近はキースジャレット。


昔、入院中の恩師の故渡邉暁雄先生にキースのバッハをプレゼントしたら 「このバッハは聴いたあとに鼻歌を歌いたくなるね」 とすごく気に入ってくれた。
演奏が自然なのだ。


ところでバッハの死後バッハは忘れられていたが、メンデルスゾーンが偶然バッハの楽譜を発見してバッハが有名になったというのは半分作り話である。


ハイドンやモーツァルトはバッハを尊敬していたし、ベートーヴェンはバッハの平均律でピアノを勉強した。多くの音楽家たちはバッハを尊敬し、楽譜を持っていた。


ただ当時は過去の作曲家の作品を演奏するコンサートの習慣が無かっただけなのだ。
(コンサートはみんな作曲家が自作を演奏するのが普通だった) 。


たまにはバッハを聴いてみませんか?


それでは皆さんコンサートでお会いしましょう!



PS 先日小学校の時の仲良し2人と25年ぶりに再会。大いに飲んでめっちゃ楽しかった!

向かって一番左が日本の昭和37年生まれで最も頭が良いと言われる可部君。それから、昔は堅物だったけど随分くだけた朽津君。右端が仕事を通じて仲良くなった富永さん。

実は 関西フィル のスポンサーの関係で仲良くなったみずほコーポレート銀行の富永さんは僕と同じ歳。彼がこの幼なじみ2人と中学、高校、大学と同級生だったのだ。 3人とも教育大駒場付属中学、高校から東大というエリート秀才。

この2人は財務省の官僚に生物学の有名教授。みんな日本にいなかったりしてお互い全然会えなかったから昔話や政治の話しに花が咲く。みんなの顔が小学生に見える。

この4人でこれからも定期的飲み会をすることに。

とにかくめっちゃ楽しくて元気をいっぱいもらってきました!


    藤岡 幸夫


2008/11/10


 土曜日は慶応創立150年の式典で指揮をした。

天皇皇后両陛下ご臨席で2万人のお客様。
慶応卒業生の大合唱団と現役学生の慶応ワグネルオーケストラの共演。とにかく野外でPAを使っての共演だったから大変だったけど上手くいった。 今回の合唱団は先日のマーラーの 「復活」 とは別の合唱団だったけどこちらもレヴェルが高くてびっくりだ。
さすが慶応の伝統だ。

1曲めの吉松さん (慶応高校、大学出身) の150周年のために作曲された 「大学祝典序曲EX」 は先日サントリーホールで初演したばかりなので 今回はオケも楽しんで演奏してた。素敵な曲なのでこれからワグネルの持ち曲にしてどんどん演奏して欲しい。


一番心配だったのは冨田 勲 さん (冨田さんも慶応高校、大学の出身) の新作のファンファーレ。

4つのブラスのグループ (慶応義塾高校、幼稚舎&女子高校、湘南藤沢高校、大学軽音楽部) が野外会場の4方に位置される (僕との距離がすごくあるので各団体に指揮者が配置されてる) 。競技場が野外会場で僕はほぼ中央で指揮したのだけど各グループと約500メートルは離れてるから音は凄い時差でお互いに聴きあうと合わない。

冨田 勲さんと
@


冨田さんの曲は素晴らしいのだけどリハーサルで会場に着いたとたんその会場の広さを見て 「合わせるの無理」 と思ってしまったが、 各団体の指揮者の皆さんが必死に肉眼で僕の指揮につけてくれて本番は上手くいってほっとした。冨田さんも凄く満足してくださった。


式典終了後は慶応ワグネルのみんなと飲み会。みんな弟分のようなものでこれでしばらく会えないのがちょっと寂しい。



 夜はゆっくりテレビで日本シリーズ観戦。岸の好投に興奮した。

昨日の夜 (日曜日) は練馬交響楽団 (僕にとって思い出深いオーケストラ。この話はまたします) とリハーサルで試合を見れなかったがビデオに撮って家に帰って夜中まで試合を観てライオンズ優勝に酔いしれた。


僕は昔から熱狂的なライオンズファンだった。球場にもよく行って応援したし、巨人と初めての日本シリーズの時は徹夜で並んでチケットを手に入れた。

ところがこの数年はさすがにタイガースが大好きになってしまった。こんなのはタイガースファンからはにわかタイガースファンと怒られるだろうけど リーグが違うからまぁいいだろうと想ってた。

ただ日本シリーズがタイガース対ライオンズだったらどちらかを選んで応援するのが辛いので試合を観るのやめる事にしてた。 (こんなのそれこそタイガースファンには許してもらえないだろう)

日本シリーズの時期はいつも仕事で日本にいなかったり忙しかったりでなかなか観れなかったけど今年は結構試合を観れた。こんなの20年ぶりくらいかな。

とにかく昨日の夜は最高だった。今朝はスポーツ新聞を片っ端から買って読んだ。これも20年ぶりかな。


ライオンズで好きなのはなんと言っても3番と4番のクリーンナップの中島と中村だ。この二人は関西出身ですからね。



というわけで、それでは皆さんコンサートでまたお会いしましょう!


    藤岡 幸夫

2008/11/06


 昨日は大阪から東京に戻ってテレビで 日本シリーズ 観戦。興奮した。
学生時代に徹夜で並んで日本シリーズのチケット買ってライオンズを応援しに行ったのが懐かしい。


ところで昨日の朝は大阪にいたがスポーツ新聞には相変わらずタイガース一色と笑ってしまった。

日本シリーズ真っ只中だと言うのに
1面の見出しが
  「真弓監督弾言 !! 鳥谷20発ノルマ !!」
2面
  「矢野再び世界へ !!」
3面
  「林、俊足解禁 !! 走れっ !!」


日本シリーズの記事が全然出てこない。 (どのスポーツ新聞も同じ)

関西のこういう感覚好きだなぁ ・・・・・。
デビュー当時、卒業式にて
英国王立ノーザン音楽
大学大学院の卒業式


今日は一日中仕事部屋にこもって勉強。息抜きにジムに行って、帰りに近所の六義園で冬の気配を楽しむつもり ・・・。

そうそう今日は僕がイギリスでデビューした記念日(93年)だ。勉強に気合いが入る。



    藤岡 幸夫




デビュー当時のエピソードが公式ホームページに掲載されています。合わせてご覧ください。
http://www.sachio-fujioka.net/manchester/letter20060306.html
2008/11/04

 皆さんこんにちは。

先週の土曜日は宮崎県都城でコンサート。


久しぶりに共演のギターの大萩くんは素敵なソロだった。
サックスの須川さんのカッチーニのアヴェマリアには泣きそうになった。
そして東京都交響楽団の素晴らしい演奏!
皆さんありがとうございました!


それから都城総合文化ホールの美しさと音響の素晴らしさに唖然。日本はすごい国だと思う。このホールは間違いなく国内のトップクラスのホールだ。 是非ともまた行きたい。スタッフの皆さんありがとうございました!


このコンサート後に飛行機で羽田へ。空港では可愛い姪っ子2人(以前話ししたフィギュアスケート3姉妹の下の2人)が待ってた。あっ、もちろんカミさんも待ってました。


連休は一番上の姪っ子が北海道で大会だったので下の2人が僕のところにお泊まり。めっちゃ癒された。


 昨日の夜は慶応150周年記念式典のリハーサル。

当日は2万人のお客さまとネットで全世界に中継されるのでオーケストラも合唱団も力が入る。


 今は大阪に向かう新幹線の中。いつも新幹線の中では勉強してるが、今日はリハーサルが無いのでのんびり外を眺めてる。

たまには弁当でも食うか・・・・・・。



PS1 昨日の夕方日吉にリハーサルしに行ったら母校の高校の文化祭が終わったところですごく懐かしかった。

この日吉祭には凄い人数のお客さんが来る。当然女子高生もたくさん来る。

高校1年、2年のころは日吉祭では自分でオーケストラを組織してコンサートしたり、チェロで室内楽に加わったり、とにかく音楽のことで頭がいっぱいだった。


3年のときはオーケストラの指揮ももちろんしたが、一方でポップバンドに加わってキーボード弾いて、頭の中は女の子のことではち切れそうだった。


昨日はお祭りが終わって台風が去った後のような校舎を思わず見に行った。


生意気で弾けてたあの頃を思い出してちょっと恥ずかしくなった・・・・・・。



PS2 姪っ子2人が夜遅くに突然カミさんの服を引っ張り出してファッションショーを始めた。

この2週間リハーサル、移動、本番の連続ですごくきつかったけど、2人のお陰で疲れもぶっ飛んだ。



    藤岡 幸夫


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