藤岡さんから2001年2回目のお手紙が届きました。
今回は、藤岡さんの恩師、故渡邉暁雄先生についての想い出です。じっくりお読みくださいね。
感想のメールもお待ちしています。

皆さんお元気ですか?

1月は関西フィルと奈良、城陽、橋本公演、セントラル愛知との初共演、2月は久しぶりの日フィルと、たくさんのお客様に来ていただいて本当にありがとうございます。 メールも沢山ありがとう!励みになります。

さて、今回は僕にとって最高の恩師、渡邉暁雄先生の思い出です。

故渡邉先生は日本を代表する名指揮者で、僕は先生の最後の弟子で、本当に可愛がってくださいました。
先生がいらっしゃらなければ僕は指揮者になれなかった。

今月発行された、サントリーホール・メンバーズクラブの会報誌「MUSE」VOL81 の「音楽の聴こえる絵」というページに僕のエッセイが載っています。 それを今回は転載させていただきました。
 

渡邉信子「赤い椅子に坐る男」(1977)
カンヴァスに油彩 91×73cm


もし好きな画家は?と聞かれればターナー、ミュシャと答えるかもしれないけれど、僕にとって一番好きな絵は、僕の恩師、故渡邉暁雄先生の姿を奥さまの信子夫人がお描きになったこの絵だ。

僕は、先生に出会う前は指揮者の道を諦めかけていた。
初めて先生のお宅に伺って一通りのテストの後、最後に先生の前でピアノを弾いていたとき 「これで僕の夢も終わりだ」 と、半ばやけくそだった。
そんな僕の演奏を先生は静かに譜面を追いながら聴いてくださった。まるでこの絵のように.........。

弾き終えた僕に

「キミはいい指揮者になれるよ。
  あさってからウチにいらっしゃい」

と言ってくださり、それから僕の人生は大きく変わった。
内弟子として毎日のように先生のお宅に伺い、運転手、留守番、荷物持ちなどできる限り先生のそばにいた。時間の合間にして下さったレッスンは、時には半日かけてくださった。

先生がお宅にいらっしゃるときは、いつもこの絵そのままの姿で楽譜を読んでいらした。


先生の楽譜の読みの深さは驚くべきもので、
  「何故この音がかかれているの?それを知らなきゃだめだよ。」
そこから始まる。
和声、形式、歴史的背景などの基本的なアナリーゼは勿論のことだが、またその一方で、
  「この音いい音だよねぇ。」
と感覚的な事を大切にしていらした。 1つの音の大切さを勉強するために、ピアノで音をポーンと鳴らして、耳を済ましてその倍音をよく聴くという事もしょっちゅうあった。

 また作曲家の性格の分析をして、心理学的見地から楽譜を読んでいらした。
例えば<Moderato>と言う表示記号ひとつを取ってもいくら音楽用語と言っても作曲家によって全然ニュアンスが違うことを意識していらしたし(作曲家の中にはイタリア語を正しく理解していない作曲家もいた)、一曲の中に同じ<フォルテ>でも沢山の種類があって、それをさらに作曲家の性格(先生はできる限り自筆譜を調べていらしてその筆跡から性格を判断していらした)から解釈していらした。
あるいは作曲家によっては、1つの曲の中で同じディミニュエンドでも、記号の>と、dim とでは全然音楽が違う事などetc etc...........。
 「譜面を読む時は印刷された音の裏側を読むことだよ」
このようにして、自分の解釈に確信を持てたとき勝手に手は動く。それが先生の指揮法についての教えだった。だから棒のレッスンはほとんどしなかった。

また、渡邉先生が昔の話をすることはほとんど無かった。(弟子入りしてからお亡くなりになるまでの5年間、唯一の例外は軽井沢にご一緒した時に「ここが信子と初めて出会った場所なんだ。」と懐かしそうに話をされたときだった。) 常に将来を見つめ新しいことを考えていらした。
例えば先生の口癖は、
「キミたちの世代の指揮者がいつも半世紀前と同じプログラミングじゃだめだ、必ずお客さんが減るよ。」
「僕等音楽業界の人間は、過去の作曲家でメシを食ってる。だからその恩返しを今の作曲家にするのは、好き嫌いじゃなくて義務なんだよ。古いものを大切にすると同時に新しいものを育てるのが文化なんだ。」
「(日フィルの)親子コンサートは定期演奏会と同じぐらい重要なんだ。若い人達に全身全霊で音楽の素晴らしさを伝えなければ。オーケストラの将来は彼等にかかってるんだから。」

etc,etc.........。 先生は沢山の言葉を残してくださった。

この絵は、1977年頃(先生は56歳)音羽のお宅で奥さまが描かれたもので、先生の楽譜に対する真摯な姿と、お部屋(僕はこの空間が大好きだった)の雰囲気が本当によく伝わってくる。 勿論、奥さまの先生に対する静かで深い愛情も。
今は軽井沢の別宅に飾られているのでなかなか見ることができないが、日フィルがこの絵をテレフォンカードにしたものをいつも財布の中に入れている。カードの中の小さな絵の中の先生が今でも僕の好きなときにレッスンしてくださる。きっとそれは一生続くと思う。僕にとって大切な大切な絵だ。


先生の思い出はまだまだ沢山ある。

弟子入りしてからレッスンといえばピアノを弾くだけだった。10ヶ月後初めて「明日、指揮棒を持っていらっしゃい」といわれて、次の日レッスンに行くと、指揮しなさいといわれたのが、僕の弾いたベートーヴェンのソナタだった。先生がこっそり前の日の僕の演奏を録音していて、それを交響曲だと思って指揮したのだ。 さすがに手は勝手に動いた。要は曲が体に染み込んでるかどうかということだ。(ただあまりにも僕の演奏がひどくてすごいショックだった。)

先生が亡くなられる直前に、僕は初めての外国のコンクール(外国に行ったのもこのときが初めてだった)に受けに行った時のこと。 僕は、プラハの春国際コンクールで最後の3人に残っていて、優勝するつもりだった。とにかく初めてヨーロッパのプロのオケを振って3人の1人に選ばれたもんだから、最終審査の前はすでに天狗になっていた。それに審査委員長が名指揮者のクーベリックで僕は完璧に舞いあがってた。最終審査は名門チェコフィルを相手に「新世界」とマーラーの交響曲4番。結果は最悪。優勝できなかった(このときは結局誰も優勝しなかった)。
僕は、先生になんて言えばいいんだろう?先生は怒るだろうなと考えながら飛行機の中で一睡もせず成田から病院に直行した。 ベッドの上で先生はニコニコしていらして
「サッチ−ノ(先生は僕をそう呼んでいらした)が3人に残ってるって聞いてサ、優勝しないようにってお祈りしてたんだよ。今、優勝したらキミはイギリスで(留学は決まってた)真面目に勉強しないだろう?まだまだ早いよ。」
その後イギリスに行って「まだ早いよ」の意味が身に染みて理解できた。

今でも本当に先生のことをよく思い出す。 1日に何回思い出すだろう? 本当に先生には感謝し切れない。 残念なのはデビューする前に亡くなられたことだ。(僕が渡英する直前に亡くなられた。)せめて1度でいいから僕のコンサートに来ていただきたかった。


この絵と同じくらい大切なのが、この白黒の写真だ。

いつもコンサートの後はこの先生の顔を眺める。その時によって笑っているように見えたり、怒ってるように見えたり悲しい顔に見えたりする。先生の声が本当に聞こえたりする。 今でも先生にレッスンしてもらってる。 本当に僕はこの絵と写真を見るたびにそう思ってる。そういう先生に出会えたのが僕の1番の幸せです。


長い文章を読んでくださってありがとう。

また皆さんにコンサートで会えるの楽しみにしてます!      

          2001年 2月15日 

渡邉暁雄(わたなべあけお)
1919年東京生まれ。90年没。48-54年、東京フィルハーモニー初代専属指揮者として活躍。56年、日本フィルの創立に携わり、68年まで同団の初代専属指揮者。のちに京都市響常任指揮者、東京都響音楽監督、日フィル音楽監督、広島響音楽監督を歴任。特にシベリウスの演奏で高い評価を受けていた。信子夫人は、多摩美術大学、ならびに東京美術学校(現、東京芸術大学美術学部)卒業。旧軌会、具象画集団大調和会会員。


PS1
先日、日フィルの元事務局長、現在専務理事の田辺さんのコントラバスのソロコンサートがあった。若いときは日フィルの奏者で1972年からは名マネージャーとして日フィルを引っ張ってきた方だ。僕も田辺さんのおかげで日本で最高のデビューができた。楽器を離れ20年、まだプレーヤーでありたいと68歳でコンサートを開かれた。お客様も蒼々たる方達で大盛況。一生懸命弾く田辺さんはまるで少年のようだった。音楽を愛する気持ちが心の底まで伝わってきた。最後には目頭が熱くなった。隣で聴いていた広上さんの眼も赤かった。心に染みるコンサートだった。

PS2
本当に久しぶりに兄貴分の指揮者広上さんに会う。噂で聞いていたヒゲは無し。髪も短くしてさっぱりしてた。色々話ができて楽しかった。本当にこの人は凄い。広上さんのコンサートに行きたくなった。

PS3
NAJEE(SAX)のアルバムを買う。音は深く無いけどこの人結構イイ。

PS4
たまに漫画を読みたくなる。でも今何を読んでイイかわからない。誰か教えて!

PS5
久しぶりにTVに出てる「モー娘。」を見る。なんでこんな人数なの?しかもおんなじ顔が沢山!つんくの曲は冴えてるのになぁ。

PS6
僕のイギリスの音楽大学の後輩のポール・マン(めちゃくちゃ才能があってコンクールで優勝して、今ロンドン響の副指揮者。将来を嘱望されてる。)が日本に来る。それもディープ・パープルの伴奏オケの指揮で。そういえばあいつロック好きだったもんなぁ。でもヤルか?普通。天才は考えることが違う?


※本ページの原稿および渡邉先生の御紹介の文章は「サントリーホール
 ・メンバーズ・クラブ会報誌
MUSE vol.81掲載」のものを
  転載、加筆させて頂きました。
 また、右下の故渡邉暁雄先生の写真は木之下 晃氏撮影です。
 無断転用はお断り致します。


あれ?
今回藤岡さんの写真は?と思った方は、こちら!

〜藤岡幸夫さんを応援するWEBの会より〜
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