今回は、下記の<ぴょーとる>さんからのメールについて、
藤岡さんからお返事の「現代音楽論」が届きました。

【<ぴょーとる>さんからのメール】

藤岡さん、こんにちは。ぴょーとるです。
藤岡さんは現代音楽について、どうお考えですか?
特に前衛を含む無調性音楽に関してはどうですか?
私は実は好きになれないんですよ。でも、今の音楽界では
現代音楽といえば、いまだにこういった作品が主流として評価されて
いますよね。こんな曲で本当に「採算」がとれるのかな?などと
思うような曲(作曲者の方々、ごめんなさい)が「高い評価」と
なっていますが、私には、なんとなく「裸の王様」のように
思えまが、いかがですか? よろしかったらご意見をお知らせ
ください。
       平成11年4月11日   <ぴょーとる>



ぴょーとるさん、お手紙ありがとうございます。
なかなかお返事を書けなくてごめんなさい。

さて、現代音楽についての意見ということですが、まず、僕の(普段、自分で考えて いる)現代音楽に対する立場(意見ではありません)からお話しします。
僕は、故渡邊暁雄先生に、生前本当の息子のようにお世話になっていましたが、その 先生が常々言っていたことは
「我々音楽家と、音楽の世界にいる人間は過去の作曲家のおかげでメシを喰っている 。だから、今の作曲家に恩返しをしなければならない。」
という話で、僕はこの言葉を遺言だと思っています。
つまり、好き嫌いを言わず、出来るだけ現代の作曲家の作品を演奏するということが 我々の義務である訳です。そして、その作品の価値を決めるのは我々ではなく、時間 (とき)が判断をすることになるでしょう。
僕は日本では吉松さん以外の作品をほとんど指揮していません。その代り、僕が振る プログラムの8割近くに、吉松作品が入っています。
それは、過去の作曲家は、演奏家の強烈な支持があってからこそ今まで残ってきた訳 で、僕も吉松さんの作品をしつこく演奏することにより、吉松さんの名前と作品を多 くの人に知ってもらいたいし、また、アンチ藤岡・吉松の人達には他の作曲家達をも っともっと演奏して欲しいからです。いろいろな人の作品を平等に演奏していただけ では、なかなか多くの人達に知ってもらえないでしょう。
さて、ご質問の前衛を含む無調性音楽についてですが、これらの中には沢山素晴らし いものがあります。吉松さんの現代音楽を書いていたころの「トキによせる哀歌」も 傑作の一つでしょう。TAKEMITSUのRequiem、西村 朗さんのヘテロフォニーetc.etc.etc. 今、吉松さんは「現代音楽はゴミだ!」とよく言っていますが、それは本当に本心か ら言っているとは思っていません(また、作曲家だからそういう発言も許されている のです)。
僕も過去に何回か、現代音楽について批判的な意見を雑誌などで発言しましたが、そ れは「バカヤロウ、ふざけるな! 現代音楽はこんなに素晴らしいぞ」ということを誰かが公の場で言いだせば論争になっておもしろいな・・と思っていたからで、期待に反して、誰も論争をしかけてこなかったのでやめました。
ただし、ひとつだけ批判的な事を言うとすれば、現代音楽の世界では“芸能と芸術は 別物。つまり、芸能とは人に喜んでもらうもので、芸術は大衆にウケることを考えてはいけない”という考え方がありますが、これには疑問を感じます。
芸術とは、芸能の中で更にすぐれたものであるのではないでしょうか?過去の作曲家 達の多くは、大衆にウケることをちゃんと考えていました。
ベートヴェンの第九は、当時一楽章は難解なものでしたが、4楽章では「歓びの歌」 という超大衆ウケを考えていたし、マーラー、ワーグナー、ストラヴィンスキー、 チャイコフスキーetc.etc.、みんな客ウケを考えています。ヴェルディ、ロッシーニ などのオペラ作曲家は、もし芸能と芸術の分け方をすれば、“芸能作曲家”になって しまうでしょう。
また、調性についてですが、メロディがあって、調性があってという 音楽は、クラシック(現代音楽の世界)では「使い古された書法」などと呼ばれたり しますが、僕からすれば、「普遍的な語法」だと思っています。それは言語と一緒で 、今相変わらず本屋で小説が売れるのは文章がこの普遍的な文法によるものであり、また、レコード屋でポップス、ロックなどのクラシック以外の音楽の売場に人が沢山いるのは、これらの音楽が、この調性、メロディといった「普遍的な語法」によって書かれたものだからです。なぜクラシックの売場に人が少ないかと言えば、この「普遍的な語法」を“否定”してしまった、現代音楽というものが一般の人達には喜ばれなかった訳で、また、過去の作曲家だけではいくら名曲といっても、オタク以外の人達には、一曲あたり2〜3種類の演奏があれば十分だからです。
CDの売上のことを言うと、商業主義だのと言われそうですが、とても大切なことです。我々音楽家は、お客さんが沢山いなければ生きて行けません。“音楽”とは、人に聞いてもらうものなのですから・・。いくら現代音楽の世界で認められたものでも、大勢の大衆の心を揺さぶるものでなくては、人間にとって価値のあるもの(本当の意味での芸術)とは言えないでしょう。
(新しい曲が理解されるまでには時間がかかるのも事実です。昔、初演で失敗したものが今では名曲というものも沢山あります。しかし、現在の演奏技術、録音することによって何度も聞き返せることを考えれば、新しい曲が評価されるまでの時間は昔と比べて相当短いはずです。)
現代音楽の世界というのは、研究室(大学やメーカーなどの)のようなもので、その中にいる人達は、その中の他の人達に認められなければならない。だから、どんどん先鋭化していく。そこから意味のあるものが生まれてくることもあるだろうけど、そ こで生まれたものは一般の人には何の意味を持たないことも多い。

とにかく、今、音楽家がするべきことは、新しい曲を演奏することです(それが、いわゆる現代音楽だろうと、調性音楽だろうとかまわない)。また、プログラミングするときは、必ずスタンダードな曲と組合わせることが重要。そうすれば、一般の人達も聞きにくるからです。
また、聞き手はその現代作品に素直に反応するべきです。ひどい不快感を感じれば、ブーイングをすればいいし、素晴らしいと思えば、ブラヴォーと叫んで欲しい(音楽はワカル、ワカラナイよりも、感じるか感じないかが先です)。
新しい曲をコンスタントに演奏しなければ、名曲は生まれてきません。そんなに簡単に名曲なんか生まれてこない。作曲家にもっと曲を発表するチャンスがなければならないのです。つい50年前までは、音楽愛好家達は、その同時代の新しい作品に一喜一憂していたのです。古いものだけで満足していたら、クラシック音楽界の未来は決して明るいとは言えないでしょう。なぜなら大衆にとって文化とは古いものを大切にすると同時に常に新しいものをもとめるものだからです。
以上、カタイ話をしてゴメンナサイ。それではまた・・。



    1999年4月27日
         マンチェスターにて 


P.S.指揮者としてではなく、一人の音楽を愛する人間として一言。
 「ああ、新しいクラシックの音楽の中にも、もっともっとメロディを
  聴きたい。僕はメロディが大好きです!!」

   #この藤岡さんのお返事に対して
    <ぴょーとる>さんから
    4月30日、即座にお返事を頂きました。
    お返事は、こちら!


〜藤岡幸夫さんを応援するWEBの会より〜
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