関西フィルハーモニー管弦楽団第190回定期演奏会」

2007年2月9日 ザ・シンフォニーホール(大阪市)
指揮/飯守泰次郎(楽団常任指揮者) ピアノ/横山幸雄
(コンサートマスター: ギオルギ・バブアゼ)

シベリウス/交響詩「フィンランディア」
伊福部昭/ピアノとオーケストラのための「リトミカ・オスティナータ」
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

今シーズンの関西フィルは「20世紀の肖像」を1年かけて追求します。全ての演奏会では開演前に(多分西濱事務局長の司会で)指揮者による曲目の解説等のトークがあります。

最初は「ノスタルジー」というテーマでこの3曲。特に最初と最後は藤岡さんの得意な曲が並んでいますが、関西フィルは二枚看板の指揮者が売り物、飯守さんとの聞き比べはけだし見ものです。第1ヴァイオリン第1プルトはバブアゼ・川島の両コンサートマスターが揃い踏み。
トークはショスタコーヴィチについての少ししか聞けなかったです。トークの最後に西濱さんが20世紀の曲が心に響いてくる一面について話があり、飯守さんから20世紀の曲はあくまでも (関西フィルが昨年集中して取り上げた) ロマン派からつながっているもので、独立しているものではないという話、そして今回の演奏会は「ステーキ3枚という選曲」という話が出ました。西濱さんから「食べ過ぎてお腹を壊さないでください」(場内笑いはなし)という発言が出てトークは終わり。

・シベリウス
没後50年のシベリウス。最初の曲から関西フィル最大級の音圧で、圧倒的な演奏でした。曲の要素、圧政・民族意識・祈り(讃美歌) の切替がたいへん劇的な演奏でした。

・伊福部昭
昨年2月8日に亡くなってから1年、伊福部昭を追想します。ピアノは時間当たりの音の数がたいへん多く、譜めくりの人がつくほどでした。余裕があるのか軽やかなピアノに思いました。弦楽器をはじめとする伴奏は叙情性を保ちつつも、それ自身の発熱で融解しそう、どこへ飛んでゆくのか、という演奏でした。「伊福部サウンドの炸裂」という月並みな言葉とはこの演奏では少し違いました。ゴジラというより大きな割にすばしこい動物という感じで「疾走する伊福部サウンド」というべき。

・ショスタコーヴィチ
最初に私が聴くことができた範囲のトークを再現すると、この曲の聴きどころは華やかな第1・第4楽章よりも第2・第3楽章にある様で、特に第3楽章は、シベリアの大地、流血の惨事、体制に対する庶民の声にならない声といったものを余すところなく表現しているといった発言があったようです(記録きわめて不正確)。実はこの曲3週間前に京都市交響楽団の定期演奏会でもとりあげられています(指揮は亡くなられた岩城宏之さんの代わりに外山雄三さん)。藤岡さんが指揮したショスタコーヴィチは2回聴いていますが、一応それを素朴で柔らかい木造とすれば、今回の飯守さんはやはり堅牢な石と煉瓦造りの演奏だったと思います。各パートを際だたせることはせず溶かしてしまうアプローチの様で、それだけに溶かさなかった部分は驚くほど効果的でした。第3楽章は確かに音は鳴っているけれど、音すらも奪われてしまった惨禍とでもいうべき極限状況に至り、第4楽章も最後の弦楽器は管楽器と打楽器の「強制された歓喜」に悲鳴を上げているさまをありありと描いていたと思います。
今回の(今回も)関西フィルはその響きがもたらす烈風で舞台から浮上しそうなほどでした。
関東の方はこれから藤岡さんのシベリウス共々「地方都市オーケストラ・フェスティバル2007」で聴ける楽しみが待っています。
以上です。




       2007年2月9日 Fu(ふ)









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