関西フィルハーモニー管弦楽団 いずみホールシリーズ Vol.3」

会場:2005年2月13日 いずみホール(大阪市)
指揮/飯守泰次郎 (楽団常任指揮者) (コンサートマスター/ギオルギ・バブアゼ)
独奏/迫昭嘉 (ピアノ)
  プレトーク司会/西濱秀樹(楽団理事・事務局長)

大栗裕/大阪俗謡による幻想曲
貴志康一/交響組曲「日本スケッチ」全4曲 (1.市場 2.夜曲 3.面 4.祭り)
大澤壽人/ピアノ協奏曲 第3番
  貴志康一/「日本組曲」より「道頓堀」

藤岡さんがいない時に藤岡さんのオーケストラでもある関西フィルは何をしているのかのレポートです…なのですが、今回藤岡さんは会場に来ておられていて、後半はデカダンな所作で(^_^;)聴いておられました。
このサイトを見ている方の多くにとって関西フィルの日本人作品というとまず「藤岡さんの指揮で吉松隆さん」ではないでしょうか。今回、関西フィルはある種その先を行く壮挙というべきプログラムを組んでいます。関西に生まれた3人の日本人の曲を一気に演奏するというのですから。しかも大栗裕はともかく、あとの2人は「夭折の天才」です。とにかく関西フィルのこちらの流れも藤岡さん+吉松隆さんのプロジェクトとある意味で両輪あるいは共鳴しているものと思います(とかエラそうに書いていますし、準備も含めて執筆時間もいつもの10倍かけているのですが、私も「大阪俗謡による幻想曲」をCDで聴いただけなのです(苦笑))。
開演前に飯守さんによるプレトークがあり、ほとんど大澤壽人について語られました。
「演奏を本当に楽しみにしていた。」「自分の国の作曲家…3人とも大阪(圏)の人で、亡くなっているけれども一時は大活躍した人」「3人の個性がはっきりしている」とたいへんに熱っぽい語りです。大澤壽人については「活気がある、モダン、精力的」「洗練された都会人で国際人(コスモポリタン)」と評し、次に経歴もあげます。「曲をクーセヴィツキー(ボストン交響楽団の指揮者)に献呈」「ボストン響を指揮」「パリのどんどん進んでいた音楽の先を行く」…さらに本人は語っていないがスラヴ系の影響もある、進みすぎて周りがあまりついてこられなかったなどなど…。ちなみに飯守さんの評では大栗裕は「土着の音をそのままぶつけてくる」、貴志康一は「いにしえの日本の音の美しさ」に特徴があるとのこと。西濱さんが大澤壽人はつい2年前に香港のNAXOS(ナクソス)というレコード会社が録音したこと再評価された、と注を入れます。飯守さんからはさらに、関西は元気がないというけれど、日本全体に元気がない、でもここまでやってこられた先人がいたのだから、誇りを持ちましょう、といったメッセージがありました。西濱さんからはこんな企画で5人くらいしかお客さんが来なかったらどうしようと思ったけれどたくさん来てくれた、と喜びの声。これをお読みの皆さんで作曲者の名前を聞いたことがある方が何人いるか、私もわからない、一人も知らない人が過半数ではないかとか思うほどの企画なのですが、席は75〜80%位埋まっていました。当日は関西各地でオーケストラの演奏会が多かった分も考えると十分といえるでしょう。

大栗裕(おおぐり・ひろし 1918-1982)
大阪は船場(せんば)生まれ。日本交響楽団(現NHK交響楽団)を経て1950(昭和25)年から16年間は関西交響楽団(現在の大阪フィルハーモニー交響楽団) のホルン奏者でした。「東洋のバルトーク」の異名をとり濃密な大阪情緒あふれる音楽が特徴といわれます。12分あまりのこの曲は同楽団の創立者朝比奈隆(1908-2001)がベルリンフィル客演の際に携えるべく作曲されたもので、1955(昭和30)年に「大阪の祭囃子による幻想曲」として完成しました。1970(昭和45)年に改訂され、現在の曲名となっています。吹奏楽にも編曲されておりそちらの方が有名。 本家(^_^;)の演奏だと暑い大阪の夏でも昼間の猛暑になりそうなのですが、今回の演奏は意外に前衛的でかつシャキシャキ、それでいて夜の深い闇の不気味さを濃厚に表している感じでした。結構ファリャの「スペインの庭の夜」とかいったイメージ。

貴志康一(きし・こういち 1909-1937)
大阪生まれですが少年期に転居した兵庫県芦屋の人といった方がいいでしょう。芦屋は今でも高級住宅街ですが、この時代の芦屋はロシア革命を逃れた人々が住まう国際的な都市で、ドイツ色の強い東京とは違う音楽が持ちこまれました。短い生涯のうちに、芦屋ではエマニュエル・メッテル(指揮者で服部良一(1907-1993)や朝比奈隆は門下)、ベルリン留学中はパウル・ヒンデミット(20世紀ドイツを代表する作曲家)、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(いうまでもなく大指揮者)等多くの知己を得た人です。忘れられていましたが、1980年ごろから再評価がはじまりました。この曲は1934(昭和9)年に作曲者自身がベルリンフィルを指揮して初演されました。貴志康一には昨年ようやく初演されたバレエ音楽「天の岩戸」のCDが発売されるなど何枚かの録音が出ています。貴志康一は飯守泰次郎さんも既に何回かとりあげています。余談になりますが関西フィル名誉指揮者の小松一彦さんは貴志康一の研究者としても知られた方。 この曲は王朝風からジャズまでの融合というよりも断片が次々走り抜ける貴志節のおもちゃ箱というように思いました。演奏は飯守さんの意外な隠し味のビートの効いたリズムと関西フィルの特徴的な高音域が効いたように思いました。

大澤壽人(おおざわ・ひさと 1907-1953)
神戸生まれ。神戸女学院でも教鞭を執っています。あまりに日本の時代状況に先駆けすぎた音楽性ゆえに、46年の生涯を終えた後、長らく忘れられた存在でしたが、ようやく再評価はじまった作曲家。アメリカやフランス留学も長く、多くの知己を得ました。この曲は1938(昭和13)年に作曲され、朝日新聞社の有名な社有機「神風」の名を冠しています。曲はこの機を描写したもので、関西では67年ぶりの演奏です(関西初演と書いた情報がありますがこれは誤記)。  この曲は、当時の人が理解出来なかったのもわかる、今でも好悪ははっきり分かれるのではないか、という曲です。特に第1楽章はオネゲルの「パシフィック231」にジャズを混ぜ込んでさらに明快さを消した感じに思いました。以降は比較的聴きやすく、第2楽章はラヴェルの「マ・メール・ロワ」にジョージ・ウィンストンを足した感じか…これでも時代に先駆けているわけですが…、第3楽章は第1楽章よりはかなり明快ですが、それでも当時の人の理解を超えていたのではないかと思わせます。プレトークで飯守さんから「迫さんが弾きまくる」「難しい曲」という発言が出たのですが、その通りのものすごい音符の数とピアノが鳴る時間、しかもピアノには楽譜があり迫さんが猛然と自分でめくっています。ものすごい。3曲とも指揮台にも楽譜。当然管弦楽も複雑な音の断片が飛び交うすごい演奏。

 アンコールに飯守さんから「プログラムは短かったけれど中味がみっちり」と挨拶があってから、「道頓堀」。演奏会の熱気を受けた、驚くほど熱い演奏でした。管楽器の音が外れていたのですが、それでいいじゃないかという勢いの良さ。とにかく演奏会は大成功としていいでしょう。終演後、藤岡さんはさっさと走り去り、迫さんはファンの方からチョコをかなりもらい…最小6個あるらしいことは確認したのですが…。ゆっくりと出てきた飯守さんは残ったファンの方と濃い音楽談義を交わして…貴志康一生誕100年に向けてといった声がきこえてきていましたが…と三者三様でした。
とにかく、この勢いで関西フィルは次の定期演奏会と東京公演…もちろん前半の指揮は藤岡さん(後半が飯守さん)を迎えます。

注:トーク等の引用はできるだけ復元に努めていますが、往々にして不正確です。ご了承下さいませ。



           2005年2月13日  Fu(ふ)



いつも本当に詳しいレポートありがとうございます。
この時は僕もこのコンサート客席で聴いてすごく楽しみ
ました。
また来年も飯守先生が大澤さんの曲を指揮するみたいで
すよ。お楽しみに。





藤岡幸夫

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