久方ぶりのメールです。昨年メールを送って以降、仕事の無理がたたって音楽も聞けなくなるという苦しい月が何ヶ月もありました。今でも後遺症はありますが、藤岡さんが約束どおりショスタコーヴィッチの交響曲5番「革命」を振るという報を聞きつけぜひ聞きたいと思い4/29みどりの日のコンサート親子4人で鑑賞しました。
 感想の前置きとして旧社会主義国の音楽家に関する私見を述べます。
 チェコフィルの首席指揮者をつとめたヴァーツラフ・ノイマンという音楽家が亡くなって数年経ちます。
彼の死後、何人かの評論家が、彼は。世界の音楽界に社会主義チェコの音楽文化の高さプロパガンダしたいという当局の思惑を敏感に察知して応え、レニングラードフィルのムラヴィンスキー同様、国際的に名声を得たからこそ、チェコフィルに死の直前まで当局のご威光で首席指揮者として君臨することができたのだ。そして、旧東欧・ソ連で長きにわたって活動した音楽家は信用できないと結論づけるのです。
わたしはこの意見に「否」と言いたい。チェコは世界大戦後、ソ連のスターリン、フルチショフによって社会主義化が進められて行きました。ヴァーツラフ・ターリヒ以後チェコフィルを担っていたクーベリックは、社会主義を嫌って亡命。その後チェコではソ連型社会主義から、自由な選挙を通じて独自の社会主義路線を歩もうとする「プラハの春」が、ソ連の暴力で挫折し、指揮者カレル・アンチェルも亡命します。楽団は伝統あるチェコの文化を継承できるのは、当時ライプツィヒ・ゲヴァントハウス交響楽団の指揮者を勤めていたノイマンしかない、と彼に帰国の要請をします。
彼は逡巡した結果、栄誉あるゲヴァントハウスの地位を捨て、愛する「祖国」に帰る決意を決意します。彼の「祖国」とはソ連型社会主義国体制ではなく、歴史に育まれてきたチェコの文化と自国の生んだ偉大な作曲家ドボルザークの音楽でした。
彼は、海外公演のあと音楽評論家とのインタヴューのあとで、「モスクワ経由で帰国するが、モスクワ空港で降りたらそれっきりになるかも…」とオフレコで冗談とも本気ともつかない様子で語ったといいます。
1989年、30年余に亘って君臨してきたソ連型社会主義のフサク政権が打倒されるとき、チェコフィルの楽団と共にストで加勢したそうです。その後もチェコフィルを任されましたが、1990年初頭にフラーヴィックに譲っています。
独裁者におもねる輩に自国の音楽を明渡したくない、という良心はノイマンに限らず、フルトヴェングラーにもありました。結果としてそれが「独裁者への奉仕」として後世批判されていますが。
ショスタコーヴィッチも以上にのべた意味で「祖国」を愛していました。チャイコフスキーの「悲壮」に見られる帝政ロシアの末期的な暗い世相を幼い頃体験しています。
彼は、レーニンに指揮された十月革命という帝政打倒の変革は、人民が切望した帰結だったと見たでしょう。しかし、レーニンの死後ソビエトは独裁の国家体制に変貌して、やがて「社会主義リアリズム」の名のもとに、彼は当局から粛清の恐怖に脅かされることになります。こんなはずではなかった。愛した祖国の惨状を良く聞き取ってほしい、という想いを総譜にそっとしのばせていくようになったのだと想います。真の愛国者であった彼は故・トハチェフスキー元帥同様、ヒトラーを非常に危険視し、スターリンの戦略に批判的でした。会戦後は仕方なく塹壕掘りもやっています。
彼は交響曲5番「革命」で当局より「名誉回復」されますが、この時初演をつとめたのがエフゲニー・ムラヴィンスキーでした。以来ムラヴィンスキーはショスタコーヴィッチの曲の初演を度々つとめ、作曲家である彼の最も信頼する理解者のように世間からは見られてきました。
ところが、彼の死後出版された「ショスタコーヴィッチの証言」では、ムラヴィンスキーは総譜を何も理解できない、愚能な指揮者としてこき下ろされています。利発なロストロポーヴィッチが師であるショスタコーヴィッチの意思を最もよく理解しているのでしょうか。
交響曲5番「革命」の4楽章の主旋律は、私が幼いころから良く親しんだフレーズでした。 「ショスタコーヴィッチの証言」出版後、ソ連当局はこの本についての詳細なコメントを避け、ムラヴィンスキー/レニングラードフィルもこれまで「十八番」にしていたこの曲をどう表現してよいのか、苦悩したとおもいます。84年版では、ムラヴィンスキーらしく良くまとまっていますが。
みどりの日のコンサート・交響曲5番「革命」は、動乱期の動と静、革命前後の苦悩、戦勝を誇らしげに歌う金管楽器と、それをかき消そうとする弦楽器の表現が作曲者の意図をよく表現できていたと想います。



            2003年5月4日  三木 務





こんにちは。メールありがとうございます。
ノイマンは僕が東側崩壊直後のプラハの春国際コンクールに出たときに
会ったことがります。素敵な指揮者でした。
「証言」は全部僕は信じていません。ムラヴィンスキーについての発言
もどうかな?
5番はさておき彼の演奏が未だに最高と思われる演奏は少なくないと思
ってます。最近「証言」を否定する本や論評が多いです。
御身体お大事に。またコンサートでお会いしましょう。







藤岡幸夫

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