2007年11月分
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2007/11/30 皆さんこんにちは。 先週までヴェルディのレクイエムの世界にどっぷりだったが、今週はベートーヴェンの世界にどっぷり。切り替えが難しい。 昨日は名古屋フィルとオールベートーヴェン・プログラム(トヨフジ海運さん主催の非公開でした)。エグモント、皇帝、田園でアンコールがプロメテウス。 いつも感じるけど名フィルの集中力の高い濃密なサウンド素晴らしいです。ありがとうございました。 明日からは関西フィルとフィデリオに第九。 関西フィルと第九は何度も演奏してきた。さらに関西フィル&藤岡ならではの第九を目指します! それにしても1週間オールベートーヴェン漬けは体力がいります。。 明後日2日の城陽は素晴らしい音響のホール!プラネタリウムや図書館も併設されていて、本番前にホールの周りをぶらぶらするのが大好きで楽しみだ。 今年最初の関西フィル&藤岡の第九お楽しみに! 藤岡 幸夫 |
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2007/11/26 ヴェルディ「レクィエム」の話・・・その1 皆さんこんにちは。今東京に向かう新幹線の中です。 昨日、一昨日と12月5日公演のヴェルディ「レクィエム」の大阪アカデミー合唱団との練習とソリスト合わせ。素晴らしいソリストの方たちが揃い、また合唱団の気合も充分。本番が本当に楽しみだ。 以前にも書いたけど、この大阪アカデミーは練習体制が独自の特徴を持つ。毎日梅田のリハーサル会場で練習していて、団員が好きな曜日を選んで毎週練習に通う。普段は人数が少ないがその分緻密な指導を川端先生から受けられる。 だから細かいところまで磨きがかかる。そして何より川端先生が素晴らしく、団員さんたちも明るい。 残り一週間でどこまで仕上がるのかが本当に楽しみ。 ヴェルディの「レクィエム」は僕の最も愛する曲の一つだ。 ここでちょっとヴェルディの話をしましょう。 ヴェルディという人は気難しい人だったそうだ。リハーサルではしょっちゅう怒り狂い、めったに誉めなかった。貧しい家庭に生まれたせいか、お金にすごくうるさい人だった。頑固で気性が激しく付き合いにくいタイプの人間だったと言える。 しかしその一方でかつて世話になった友人たちが病気になったとき全面的に援助したり、音楽家たちが引退した後に暮らす養老院を、自分の名前を伏せて建設したりと、本当の優しさを持った人だった。 成功してからは田舎に大きな農園を持って、そこで自ら土をいじって農民の生活をしていた。彼は自分の農園を愛し、土いじりや大工仕事が忙しくて何ヶ月もピアノに全く触れないなんて事もしょっちゅうあったそうだ。 彼がこの「レクィエム」を作曲した当時は60歳(こんなエネルギーに満ちた音楽を60歳で書くなんて!!)。 当時ヴェルディは2番目の妻と農園に暮らしていた。最初の奥さんとその奥さんとの間に生まれた子供は病死。その後、プリマドンナだったソプラノ歌手と恋におちて長い間同棲した後に結婚。 ヴェルディが50の半ばも過ぎるころ二人の仲は冷めてしまい(奥さんはヴェルディを愛していた)、ヴェルディは他の女性と恋におちる。 相手はヴェルディがとても親しくしていた指揮者(ヴェルディの作品をたくさん指揮していた)の婚約者の当時大スターだったソプラノ歌手ストルツだった。彼女はヴェルディより30歳以上年下だった。 「レクィエム」の前に作曲された歌劇「アイーダ」はこのストルツのために書いたとも言われている。 ストルツはヴェルデイの住む農園の館にしょっちゅう出かけ、妻のいるその屋敷で情事を重ね、ヴェルデイの妻は半狂乱のようになって何年も苦しみ続けていた。 そのさなか、ヴェルディが最も尊敬するイタリアの代表的な詩人 マンゾーニが死去する。 「アイーダ」の後、もう歌劇は書かない(それは彼にとってもう作曲しないということに等しい)と決めていたヴェルディは「レクィエム」を作曲することを決心する。 この「レクィエム」の初演は当時大成功だったにも関わらず、レクィエムとしてはオペラ的、通俗的と強烈な批判を浴びる。 しかしマンゾーニの死がきっかけだったにせよ、彼は宗教音楽を作曲する気持ちなど毛頭無かった。 彼は神を心から信じていたが、聖職者や教会を(若い頃教会でオルガニストをしていた時期があったにも関わらず)憎んでいた。それは若い頃教会や聖職者たちのせいで、奨学金がとめられたり、ミラノ音楽院に入学できなかったこともあるし(彼は結局音楽学校には入学できなかった)、また当時は教会の腐敗が問題視されていたこともあると言われている。 彼が作曲したかったのはもちろん宗教的な面はあるだろうけれど、人生も終わりに近づいた(当時周りの友人たちが亡くなっていく)生身の人間の、死への恐怖、愛、悲しみそして優しさだったのだ。 彼が「怒りの日」(第2曲:Dies Irae)のスコア(楽譜)に「強烈に叩く」よう指示した大太鼓の後打ちは死への恐怖であると同時に怒りでもある。それは当時の支配体制への怒り、自分を全く理解してない評論家たちやジャーナリズムへの怒り、自分がお金のために若い頃多くの駄作を書いたことへの怒り、そして自分が生命力を養うかのように30歳以上年下の若い女性と恋におちて妻を苦しめている事への自分自身への怒り。 「レクィエム」も「アイーダ」と同じくストルツが歌うことを念頭に書かれた。そして彼女の歌うソプラノソロ・パートは時に「Salva me!(救ってください!) Libera me! (解放してください!!)」と絶叫する!! レクィエムの最後の「リべラメ(Libera me)」は随分前にロッシーニが亡くなったときに作曲されたものだが(演奏はされなかった)、大幅に書き換えられて、ストルツの歌うソプラノ・ソロに重要な役割が与えられている(アカペラで最後に歌われる、ソプラノと合唱の美しさよ!!) 「レクィエム」の初演は大成功で11公演も連続して行われたがソプラノのソロはもちろんストルツで、公演中、ヴェルディはホテルでストルツとべったりで新聞が連日書き立てるこのスキャンダルの騒ぎも相当のものだったらしい。 ヴェルディは自分は地獄に落ちると信じていたという。 「怒りの日」はこの世の終わりのことで、キリストが降臨して死者もよみがえり、全ての人々が天国に行くのか地獄に行くのか裁かれる。 ヴェルディはその「恐ろしい日」に地獄へ行くと信じていた一方で、その恐怖に立ち向かう生命力が音楽に溢れる。また各ソロ・パートには深い心理描写(いい意味で感情的ですらある!)が与えられ、pp、ppp、やdolcissimoの指示がすごく多いのも特徴だ。 強烈な「怒りの日」のテーマが何度も出てくるのが印象的だが本当のこの曲素晴らしさは、それ以外のすごく深い美しさと優しさにある。オーケストラ(素晴らしいオーケストレーション!)と合唱とソロ・パートが見事に一体となった音楽だ。 余談になるが、この「レクィエム」の作曲後、しばらくたってヴェルディとストルツは段々と離れて行く。 ヴェルディは妻に優しくなり80歳を超えて妻がヴェルディの傍らで先に亡くなるまで仲の良い夫婦だったという。ところでこの「レクィエム」の後13年後(なんと73歳)!!に作曲された傑作「オテロ」はヴェルディ夫人が仕組んでヴェルディをその気にさせて生まれた。 (補足 この時は書くの気が進まなかったのだけど…ヴェルディの妻が天国へ逝った後、再びストルツがヴェルディに寄り添うようになりヴェルディが亡くなるまで一緒に暮らします。なんという…!ヴェルディは最後まで男でした…) ストルツの話を主に書いたけど、もちろんこの話はヴェルディの「レクィエム」にとってたくさんある要素の一つに過ぎない。 一番大切なことはこの作品は宗教的なことだけでなくそれを超越した、地上の人間の心に深く訴えかける素晴らしい最高傑作だということだ。 ついつい話しは長くなってごめんなさい。 ここからはとても個人的になってしまうけど、今年はいろいろなことがあって僕も45歳、一つの節目だと思ってる。 大好きだった義父が亡くなり、また僕がデヴュー当時から大変お世話になった公式ホームページ(このファンサイトではありません)の管理人さんが急逝した。 生きることってなんだろうと初めて真剣に考えさせられた年でもあった。 また、本当は大阪アカデミーと関西フィルとのこのヴェルディの「レクィエム」は去年指揮するはずだったけれど、スペインでオペラを振る日程と重なったために、大阪アカデミーの川端先生と合唱団のマネージメントの吉永さんが快く日程を1年ずらして僕をスペインに行かせて下さった恩がある。 個人的な想いで指揮をするもんじゃないし、僕はいつでもどこでも真剣勝負のつもりだし、当然個人的な想いは胸にしまいます。でもどうしても大阪アカデミー合唱団にお礼が言いたくてこの場で書きました。(おかげで僕がスペインで指揮した「ねじの回転」は2006年スペイン国内の全歌劇場の新演出の上演の中で「ベスト・パフォーマンス・オブ・ザ・イヤー」に選ばれました。) 最後になったけど、最近時間のあるとき関西フィルの演奏を客席で何度も聴いてきたが本当に素晴らしいオーケストラだと改めて思う。 また僕が指揮したときに、関西フィルとだからこそできる音楽があることを幸せに思います。 そして大阪アカデミー合唱団の皆さん!! 残り一週間!! Could be more fantastic!! (もっと素晴らしくなるはず!!) 頑張ってください!! 12月5日 ヴェルディの「レクィエム」 お待ちしてます!! 藤岡 幸夫
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2007/11/23 皆さんこんにちは。今舞鶴に向かう電車の中です。すごく紅葉が綺麗です。 実は、僕が8年前に関西フィルの正指揮者に就任した頃から年間に僕のコンサートの半分以上熱心に舞鶴から(大阪まで片道三時間!!)来てくれるファンの方がいて、以前から是非とも舞鶴でコンサートしたかった!もちろん今日はその方もお嬢さんと一緒に来てくれます! 今週は吹田と城陽の両合唱団の第九練習。いつのまにか第九の季節…。 吹田とは一昨年前から毎年夏は七夕コンサート、冬は第九と年間を通じたお付き合い。とにかくみんな明るく元気がいい。来月の29日の本番まで音程をいかに良くするかが重要課題。 城陽との付き合いはもう8年目。ニューイヤーコンサート、サマーコンサート、第九とこちらも年間を通じたお付き合いでもう顔馴染みだ。第九は今回で三回目でかなり良くなってきた。あともう一息!! 城陽も吹田も素晴らしい音響のホール!!で、どちらもホールのスタッフの方達の熱い僕たち関西フィルへの思い入れのおかげで年間を通じた素晴らしい関係を築いてる。本当に嬉しいです! 先ずは12月2日の城陽の第九(僕の今年最初の第九!!)に是非いらしてください!お待ちしてます! (京都から城陽まで紅葉が楽しみ。) 明日は大阪アカデミー合唱団との合唱練習。このコンサートへの思い入れの話しはまた近々に書きます。 それでは皆さんコンサートでお会いしましょう! 藤岡 幸夫 |
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2007/11/19 動画メッセージ! (11/18奈良県・興福寺にて収録) VIDEO1 (0分40秒/1.54MB) はじめのご挨拶 VIDEO2 (1分45秒/2.87MB) Q1 指揮棒を持たないで指揮するときの決まりごとは? Q2 小さなスコアを使っていましたね? Q3 甘いものが好きと聞きましたが。 VIDEO3 (1分15秒/1.99MB) Q4 本番前にキスする木の材質にこだわりは? Q5 好きな情報番組は? Q6 いつも首につけているネックレスのようなものは何? Q7 指揮棒は特注?高いの?
VIDEO4 (1分30秒/2.53MB) おわりのご挨拶 |
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皆さんこんにちは!今新幹線の中です。 一昨日は広島交響楽団とコンサート。広響の皆さん素敵な演奏ありがとうございました!福山のコンサートホールも素晴らしく、満席のお客様の雰囲気も最高でした! ソリストのチェン・ミンさんの二胡の響きも哀愁があって良かった。ちょうど先週は上海にいたので、余計に感じるものがあった。 広響さんとは来年のニューイヤーでまた共演できるのを楽しみにしてます! 今日は朝一で大阪の此花区のサッカー場へ。サッカーチーム、セレッソ大阪の傘下のサッカーチームの小学一年、二年生の子供たち(70人強)と、関西フィルのブラスチームが音楽を交えたイベント。もちろん僕も指揮しました!演奏を聴いてる間の子供たちの笑顔が最高でした。スタッフの皆さんありがとうございました! 午後は長居スタジアムに移動して、セレッソ大阪の試合前のセレモニーに参加。二万人を越えるお客さんが歌うセレッソ大阪の応援歌の伴奏を関西フィルのブラスチームが演奏して僕が指揮。試合前の雰囲気って最高だね。 セレモニー後は、しょっちゅう僕のコンサートに来てくださる毎日放送の山本会長御夫妻と観戦。4対0の大勝で最高に盛り上がって楽しかった! 僕はマンチェスターに留学してからはマンチェスターユナイテッドの大ファン(ベッカムのいた黄金時代で僕はギグスのファンだった)で当時はSHARPがメインスポンサーで試合も見にいったもんだが、日本でひいきにするチームはなかったけど、俺は今日から熱烈なセレッソ大阪のファンになります! そうそう福山にも長居スタジアムにもわざわざファンの方たちが来てくれてめっちゃ嬉しかったです。本当にありがとう! それでは皆さん、コンサートでまたお会いしましょう! 藤岡 幸夫 |
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2007/11/06 「Sachioの独り言」 今広島にいます。明日から広島交響楽団とリハーサル。 広響は今から20年くらい前に(ヨーロッパへ留学する前)初めて僕が指揮した(学校公演でした)プロのオーケストラでとっても思い入れがある。 9日の福山は素晴らしいコンサートホールと聞いてるので今から本番が楽しみ。 ところで、気がつけば今日は11月6日。僕にとっては14年前にイギリスで正式にプロデヴューした記念日。 以前公式サイトでエピソードを書いたので良かったら読んでみてください。 letter20060306.html |
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2007/11/05
今回は関西フィルのスポンサーのダイキン工業が招待してくださり、関西フィル事務局長(司会者でもお馴染み)の西濱君も一緒。 連日、ダイキン工業のスタッフの方たちが素晴らしいレストランや観光名所に案内してくださった。 ダイキンの上海の工場も見学させてもらったが、その規模と設備にびっくり。また身体障害者の方たちが正規の社員として働いてる姿にも感動を受けた。 ダイキンがモットーとしてる 「明朗人和」 関西フィルはアジアのアーティスト達と積極的に共演したりアジアの作品を紹介することを一つのモットーとしてるが、 これからの関西フィルがアジアとさらに関係を深めていく上でたくさん勉強になった。 次回、コンサートを指揮しに上海を訪れるのが楽しみ。 それにしても、上海にはもの凄いエネルギーを感じた。 東洋でも西洋でもない、グローバルな一つの国という感じ。 上海から戻って、大阪アカデミー合唱団とヴェルディの「レクィエム」の最初の練習。 予想以上の合唱団の頑張りがすごく嬉しかった。とにかくここの合唱団の強みは団員が毎週好きな曜日に練習に参加できて、合唱指揮の川端先生の熱心な指導を受けられる。曜日ごとの参加だから普段は人数が少ない分緻密な練習が出来る。その成果を早くも感じられました。 本番が楽しみだ。 12月5日のこのコンサートへの思い入れの話はまたします。 それでは皆さんコンサートでお会いしましょう! 藤岡 幸夫 |
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