藤岡さんと吉松さんのトークショー&サイン会 現場レポート
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「藤岡さんと吉松さんのトーク・イベント&サイン会」
にたくさんのご来場を頂きありがとうございました。
参加できなかったホームページの読者の方に、「藤岡幸夫さんを応援するWEBの会」からレポートをお届けします。
さて、 今回のトークイベントは、いつもの「漫才コンビ」のペースよりちょっとシリアスムードでした。
というのも、今回の新CDに収められている2曲は、吉松さんにとっては、特別な思いのある曲だからです。 本編レポートの前に、その吉松さんの特別な思いをCDの日本語版の解説から転載させていただきます。
<終末の鳥たちによせて>・・吉松 隆
シャンドスでの私の4枚目の作品集になるこのアルバムには、「鳥」にちなんだ<交響曲>と<雅歌>が収められている。そして、この2曲は共にどこかで「最後(最期)」を意識して書いた作品である。
1990年に書かれた<交響曲>は、「最初」の交響曲と言うより「最後」の交響曲という意識で書かれたもの。初演の時<第1番>という番号を付けなかったのは、この先に交響曲を書けるような未来があるとは(作曲当時は)微塵も思えなかったからで、それほど当時(1980年代)の現代音楽界で「音楽」を書くことについては深い深い失望を感じていた。
そこで、「自分が今までやりたいと思ってやれなかった音楽を全部吐き出した<交響曲>を書いて、それで作曲家としての活動はもう最後にしよう」という諦めにも似た終末感に突き動かされて書いたのがこの作品と言えなくもない。ただ、「これで最後」と思ったからこそ、ぬけぬけと協和音をサウンドさせ、美しくメロディを歌い、激しいビートを叩き出し、壮大な夢を(恥ずかしげもなく)描いて見せられたわけで、その点は怪我の功名と言えなくもないのだが。
そして、一方の<雅歌>は、その交響曲より4年後の1994年に書かれたもの。その年の初めにたった一人の妹が病死し、そのショックによる激しい脱力感と無力感の中で書いた音楽である。作曲家などといういつ死んでもいいようなヤクザな仕事をしている兄が生き残って、ごく平穏な家庭を営み始めたばかりの年若い妹が先に逝ってしまうというのは、心の底からの絶望感に浸るに充分な事態で、これも「自分が書く最後のオーケストラ作品かも
知れない」という、奇妙なほど白濁した意識の中で作曲したのを憶えている。(後略)
このような吉松さんの「思い」をご理解いただいた上で、下記のトークショーレポートをお楽しみ下さい。
さすがにサービス精神たっぷりのお二人ですので、シリアスな雰囲気の中に「笑いのツボ」もあちこちにちりばめた楽しいひとときでした。
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吉松さんの静かな語りで
トークが始まりました。
以下、全写真は、JPEG写真へリンクが張って
あります。クリックしてご覧下さい。
会場は、準備された椅子が開演前に満席。
たくさんの方が立ち見でおふたりの
トークを楽しまれました。
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10月21日(土)17:00、会場は、タワーレコード渋谷店6F特設ステージ、準備された30余席は満席で立ち見がでる中、トークショーはスタートしました。
吉松さん:
「・・ということで、本来この場所はミニコンサートというか、ソリストの方なんかが音を鳴らしたりできる場所なんですけど、相変わらずこの2人では音も出せないし(笑)。特に、今回のアルバムは、全部オーケストラの演奏なんでソリストもいないので、2人でやらせていただきます。」
「今回のアルバムは、非常に落ち着いて録音できたというか、3番の時は、初演でそのままレコーディングで、自分でもどんな演奏になるやらわからない部分もあってドタバタしたけど、今回のは、もともとCDもあるし、藤岡君とBBCも3回目だし、最初から安心していられましたね・・」。
・・と、吉松さんは、クールに話し始めます。
吉松さん:
「で、どうでしたか?藤岡君は・・。」
藤岡さん:
「僕?ボクはこの曲にすごい思い入れがあってね(・・といきなりテンションが高い・・)。 一番最初、この曲聴いた時に良いところがわかんなくてね、“吉松さん、なんでもっとうるさく終んないの?”とか聞いたりしてね。そのあとよ〜く勉強してこの曲の良さがよ〜くわかって。ホント、吉松さんの叙情的な部分がすごく強い曲だってわかって。それ以来思い入れが強くて。来年、3月名古屋で再演できることも決まったし(拍手!)。ほんと嬉しいんだけどさ。
でも、ほんと録音の現場では冷めてたね〜(笑)、吉松さん。」
吉松さん:
「昔、書いた曲だし、BBCも3回目でよくわかっているし、なんの心配もなかったからね。」
藤岡さん:
「こーなんですよ。ボクが、が〜っと演奏して、「どう、よかったでしょ!!」とか聴きにいくと「ん〜、いいんじゃない?」って冷たい、冷たい(笑)。」
吉松さん:
「とにかく、今回は、何の問題も無く、上手くできあがった、いいアルバムかな・・って感じですよ。」
藤岡さん:
「も〜。もっと、熱く語って下さいよ(笑)。今回のジャケットとかはどうなんですか?」
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今回はちょっとシリアスに、大人の
トーク・・ 。
話題のジャケットデザインです。
でもときどきは、おちゃめなギャグを
ちりばめて・・ 。
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吉松さん:
「3番の時のアルバムは、なぜか、ジャケットの中に割り箸のお手元のイラストを書かれてあるんだけど(笑)、彼等なりに真剣に「日本的なもの」を考えているんだけどね。あれは、最初、表に「お手元」のイラストがあって、僕としては「頼むから、表に割り箸のお手元載せないでね・・」って頼んでやめてもらって結局中になったんですけど(笑)。で、今回も油断していたら、ある日インターネットで、ジャケットのデザイン案を送って来て、今度はなんと、表が天上天下唯我独尊ってやってる「裸の仏様」でさ(爆笑)、後光が広がっていて(爆笑)、その場で「止めてくれ!」って頼んでさ、「ウチは神道だし(笑)、仏様は止めろ」って。
そして、しばらく経って第2案が送られてきたら、今度は「芸者」でさ(爆笑)。カムイ・チカプは「聖なる鳥」なんだから女はやめようよ・・って言って、「聖なるものを載せてよ」ってお願いしたら、今度は、漢字で「吉松 隆」って入っていて(笑)・・・。
まあ、そんなこんなでこのジャケットのデザインになるんですが・・。でも、彼等にすると真剣で、日本的なもの・・というと「芸者」が出てきたりするんですよね。やはり英国人の日本的なものというのはちょっと違うんでしょうね。まあ、彼等のセンスにまかせてほっとくと危険ですよね(笑)。」
藤岡さん:
「吉松さ〜ん、ジャケットの話だけじゃなくて、曲の話に行きましょうよ。どうなんですか、今回の曲は?」
・・と明るくネタを振るのですが・・。
吉松さん:
「う〜ん、ある意味どれも(自分にとって)捨てた曲というか・・。 」
藤岡さん:
「それじゃ、誰もCD買いません!って(爆笑)」
吉松さん:
「この1番は、10年以上前に、まだ“現代音楽「界」”みたいな世界があって、ロックみたいなリズムのある曲とか、きれいなメロディをやっちゃいけない・・みたいな時代があって、でも僕はやってみたくて。で、これをやったら次の仕事は来なくなるだろうな・・でも、いいややっちゃえ!
最初のシンフォニーだけど、最後になるかもしれないな、次の仕事こなくてもこれだけ好きなものをちりばめられればいいやって19才の時に第一楽章だけ作ったんですよ。」
藤岡さん:
「今月発売のグラモフォンの中にそのあたりのこと書かれていますよね。すごいいい文章だから皆さんも読んで下さいね。」
吉松さん:
「でさ、死ぬ時って走馬灯のようにいろいろなものが蘇るっていうじゃない。それと同じでね、それまでボクは20数回コンテストに応募して落ちまくっていたんだけど、その応募したものなんかを回想してちりばめて出来上がっているわけですよ。」
藤岡さん:
「第一楽章なんか、木管楽器がシベリスしているよね。 でも最初のうちは、冒頭のコントラバスの低〜い音のイメージがつかめなかったんだけど、ネス湖に行ってわかったの(笑)。去年ね、エディンバラ音楽祭にヴァントのブルックナーを聴きに行ったとき、終わってからネス湖に行ってね、日本のイメージだとこういう場所って観光地化されてて「ネス湖まんじゅう」とか売っていそうでしょ(笑)。でも全然そんなことなくて、更に、周辺にもたくさん湖あるんだけど、ネス湖だけは、なにか「ゴーッ」っていう音がしていてね、「(ネッシーは)いるわ、絶対!」って感じなの。で、そのネス湖を見た時に、このイメージこそ1番だ!と思ったわけ。」
吉松さん:
「初演の時は「ジョーズ」のイメージだったんだけどね。 」
藤岡さん:
「いやあ、ジョーズよりもっと壮大!でかいよね、イメージ的にもっと!最後なんかも、キラキラーって感じでさ。」
吉松さん:
「あれは「オルゴールが止まってパタンとしまう」イメージなんだよね。」
藤岡さん:
「スケール小さいな〜(笑)。もっとスケールが大きくて、白黒の時代のコメットさん(注:昭和40年頃のファンタジードラマです)のエンディングの空への懸橋のイメージだよね。
」
(*藤岡さん、あんまし、スケールでかくないですよ!:WEBの会) |
吉松さんとあいかわらずの絶妙の
タイミングでつっこみあい 。
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吉松さん:
「一番はドロドロ、ネチネチというのかな・・。頼まれた時は、時間も編成も制約はありません・・てことだったので、全部で12楽章のつもりで作り出して(「え〜?!」の声多数)。その時は、「主催者」の民音音楽財団は、3人の作曲家に頼んでいて、当時の現代音楽は15分もの程度しか作らなくて、3人で各15分で、コンサートの前半半分・・って感じだったんだけど、ボクが長いのを書いたから残りの2人の分はふっとんじゃって(笑)。
初演の時もあまり批評が出なくて、3番でもあまり出なかったけど。ただし、初演のあとずーっとお客様の拍手が鳴りやまなかった、現代音楽では珍しい現象だ・・って感じのコメントは出たよね。」
藤岡さん:
「お客さんは支持したってことなんだよね。美しいスケールの大きい曲だもん。 」
吉松さん:
「当時、先輩の作曲家なんかは「ここまでやっていいのか?」なんて言っていました。その時は誰も後をついてこなかったけど、最近は、日本の若手でも好きなものを書く作曲家が増えたね。ブラームスっぽいのとかになっちゃうけど。」
藤岡さん:
「吉松さん、現場でもこんな感じでさ〜。「どうだった〜?」ってボクだけテンション高く演奏のあと意見を求めても「いーんじゃない〜」って感じで(笑)。」
吉松さん:
「慶応の高校時代からのすべてが入っていて、(作曲家として)1回死んだ、それ以前の曲だからね。」
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こちらはサイン会の風景。
たくさんのみなさんに並んで頂き藤岡さんも
感謝感激!
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藤岡さん:
「「鳥と虹によせる雅歌」もボクには思い出深い曲で。 吉松さんに初めてお目にかかった時に聴かせていただいた曲なんですよ。当時、吉松さん、すごく汚いアパートに住んでいて(笑)、「初めまして、藤岡です」って挨拶しても「どうも、吉松です」ってニコリともしないで(笑)。
それで、普段使っているコンポがまたボロいミニコンポで(笑)、「これ、作ったばかりの曲・・」って聞かせてもらったんだけど、アマオケで、録音状態も悪くて。」
吉松さん:
「プロのオケだよ!(笑)」
藤岡さん:
「そうだっけ?とにかく、録音状態も悪くて、何と答えたらいいのかわかんなくて、初対面の作曲家に「いいですね〜、この曲!」ってのもなんだから、「この曲、やらせてください!」って(爆笑)。日フィルの定期の曲が決まっていなかったから、そこでやらせて下さいってお願いして・・」
吉松さん:
「まあ、この曲は、妹の死んだ年に作った曲で、ある意味、これも(自分にとって)「死んだ」曲なんですね。 まあ、曲としては、メロディーは「横」には完結しているんだけど、縦には完結していないので、一度ずれると元に戻らないくらい難しい曲なんだけど、終りはあるので、終る瞬間にどんぴしゃあわせるのは至難の技で。TAKE2までとって、TAKE3も念のためにとったけど、録音はうまくできたよね。
」
「 今回のアルバムは、偶然そういう曲が並んでいるわけで、いつもだと漫才みたいに話すんですが、今回は、現場でもあまり面白いエピソードもなく、順調だったので、シリアスな感じになっていますが・・・。
まあ、1番に戻れば、これは12楽章でCD3枚分くらいの曲になるはずだったわけで(笑)。 」
藤岡さん:
「やろうよ、CD3枚分!初演させてよ!(爆笑)」
吉松さん:
「藤岡君は、ホントにするからね。シンフォニーの2番でも予算の都合で最後に合唱入れるの止めたって話をしたら「入れましょうよ!合唱!」とか言い出して今度改訂版作るとか言っているし。」
藤岡さん:
「やるんですよ。2番の改訂版。歌詞作ってくださいよ(爆笑!)。「あ〜」とか「う〜」でもいいですから。」
吉松さん:
「「あー」とか「うー」じゃだめでしょう(笑)。」
藤岡さん:
「ボクね、「惑星」と組んでやりたいんですよ。前半「惑星」、後半「地球(テラ)へ」で。2001年には初演したいですね! でもそれ以外にシンフォニーは4番・5番がありますもんね。」
吉松さん:
「1番から3番書いて、BBCのメンバーには「完結だね」って言われたけど、来年3月に向けて4番を書いていて(と楽譜を手に持たれました)、今、インターネットで楽譜のデータを送ると、パート譜を作れるんですよ。今回、あとでパート譜を作るとコスト的にも高くつくことがわかったので・・。森首相が提唱する「IT革命」を、作曲家の現場で実践させていただく・・という国策にのっとった活動をしております(笑)。
3番・5番は大きな編成なので、4番は室内管弦楽なんかでもできる小振りなものを目指しています。「ベートーベンみたいですね〜」って言われますが(笑)。
5番はとりあえず最初は「ジャジャジャジャ〜ン」で行くことだけは決めていて(笑)。」
藤岡さん:
「でもマーラーもそうだし、やっぱり5番というとベートーベンを意識しますよね。 今のテンポなら17番くらいまで行けそうですよね(笑)。」
吉松さん:
「作曲家としては、9番が一区切りだと思っているけどね。」
藤岡さん:
「来年は、4番を関西フィルで初演して、秋に5番、3月1番を再演して、1年に邦人の作曲家を3曲も演奏できるなんていまだかって無いよね。」
吉松さん:
「先日、20年振りにシベリウスのお墓に行ってきて、シベリウスはボクの先生なんで、20年前に行った時には、シベリウス記念館の入口で名前を書くところに、「YOSHIMATSU
JAPAN」って書いて職業欄に「COMPOSER(作曲家)」と書いたら、受付のおばちゃんに「(シンフォニーは)7番まで書きなさい!」って言われたけどね(笑)(※シベリウスは7番までシンフォニーを書きました)。
」
「で、今回、シベリウスのお墓にこのCDを納めてきました。「こんなものまで作りました」って(笑)。 そして、このCDは英国で8月17日に発売になったんですけど、この日は(亡くなられた)妹の誕生日で、インターネットで発売日が発表になったとき、不思議な感じがしましたね・・。そういう意味で、あまりふざけて、「このCDは〜」って話せない部分が多いんですよね。
」
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ご希望があれば「お宛名」も
お入れしてサインします!!
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吉松さん:
「あとね「カムイ・チカプ」について話しておきますね。
「カムイ・チカプ」というのは、アイヌ語で、北海道のシマフクロウのことなんだけど、佐渡のトキに続いて、絶滅しそうなものに当時非常に興味があって、この名前を付けたんだけど、曲を書いている時はどんどん構想が変わっていて、とにかく長いものを作ろう!演奏に一晩かかるくらいのものを・・(笑)とか考えたりして作っていったんだけど。
当時は、5楽章で45分というのは、すごく長いものを書いた感じがしていて、でも10分の曲と委嘱料(作曲料)は同じで(笑)、大の大人がこの委嘱料で1ケ月生活しようと思ったらこういう仕事は、10分の作品を作るのが正しいんだろうなってギャラで(笑)。でもボクは食えなくてもいいから、好きな曲を書こうと思って書いた。他の作曲家からは文句を言われたし、そんな文句を言われるなら「現代音楽の世界」から離れようか・・とも思いましたね。
でも、そのあと「交響楽振興財団」から、シンフォニーを書かないか?ってオファーが来て、その後、また2番を作るわけです・・」
藤岡さん:
「でもね、1番と3番とは、ある意味正反対の曲ですよね。」
吉松さん:
「そう。3番書いたあとには書けない。あの頃だから書ける曲。ネチネチと、時間がたくさんあったあの頃だから書けたわけで、今はもっと効率的にはなっているけど、効率的になってはいけない部分もあるわけで・・。」
藤岡さん:
「ぜんぜん大丈夫よ!吉松さんも人生ワクワクしているでしょ。ワクワクしているうちはいい曲書けますよ!ボクなんかワクワクしっぱなしだよ!」
吉松さん:
「あなたはワクワクしすぎで(笑)。 」
藤岡さん:
「 しかし、ほんと、吉松さんの部屋って一日中テレビついていて、不思議な空間ですよね。 」
吉松さん:
「うちは一日中、テレビとMac2台とFMラジオつけっぱなしで、更に音楽の批評も書くから、藤岡君のいう「安いコンポ」で(爆笑)、月に100枚くらいのCDを聴いています。「この新譜は録音状態がよくない」とか言って(爆笑)。
でも、東京はシーンとしているのがなんとなく違和感があって、ノイズのように音は出ているし、映像も出ているけど何かをちゃんと見ているわけでも無くて、原稿を書くためにずっと曲を聴いていたりするわけで。
」
藤岡さん:
「そこにボクもお邪魔して、「あっ、このCD貰っていい?」とか貰いにいく楽しみもあったりするし(笑)。」
吉松さん:
「逆に、ボクも批評を書くから、ボクの作品に批評を書くことの難しさはよくわかります。いいか、悪いか、というのも難しいし、誉めても、けなしても吉松はこういうだろうしな〜とか考えるだろうし・・。でも、今回のCDもそうですが、藤岡君がうまくプロデュースしてくれていて、1枚、1枚、コンセプトアルバムっぽくテーマをもっていい形で出してくれていて、4枚がそれぞれ非常によくできています。
次回のCDは、ロックンローラーとしての吉松を出していきたいな・・と思っています。 」
藤岡さん:
「じゃあ、最後に、この間のシェーンベルクのお墓に行った時の話をしてくださいよ。」
吉松さん:
「先日、ウィーン行って、マーラーのお墓とベートーベンの記念館をまわって最後にシェーンベルクのお墓に行って、まわりに人がいなかったので、蹴飛ばしてきました(爆笑)。「(現代音楽の現状は)おめーのせいだろう!」って(爆笑)。
」
ということで、ロックンローラーの吉松さんの熱い「アクション」話でまとめて頂きました。
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トークショー終了後は、サイン会となり、お買い上げいただいたCDのジャケットや吉松さんの譜面等、あらゆるご希望の場所にサインをしていただけるという藤岡さん・吉松さんならではのサービス精神溢れる楽しい時間となりました。
さあ、是非、次回のトークショー&サイン会は、あなたもご参加下さいね!(・・開催が決まったらこのホームページでお知らせしますね)。会場でお待ちします!
文責:「藤岡幸夫さんを応援するWEBの会」
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