小学校1年のときのプレゼントはアコーディオンだった。何故だか全然思い出せないけど、あの時とにかくアコーディオンが欲しかった。
25日の朝、一階のリビングに飛び降りていってクリスマスツリーの下においてある大きな箱を開けたら、アコーディオンが出てきて本当に嬉しかったなぁ。
小学校3年のときは特別欲しくも無い大工セットですねちゃったこともあった。
小学校4年。このときから指揮者になる夢ばかりみるようになってた。プレゼントはFMが受信できるラジオだった。FMでクラシックを聴けたからだ。モノラルだったけど当事はラジオが凄く流行ってた時代で毎晩、布団の中でこのラジオをいじりながら寝るようになった。
小学校6年の時はラジカセ。このときは親がサンタと知っていて両親と3人で秋葉原の石丸電気でラジカセを買ってもらった後、たぶん生まれて初めて3人で夕飯を食べた。生まれて初めて食べたしゃぶしゃぶだった。
僕の家は当時、祖父、祖母におじさん、叔母さんたち、それに妹を入れて13人家族で、妹の手前もあって3人で食事はしたこと無かったし、家の食卓で焼肉はあってもしゃぶしゃぶなんて出てこなかった。僕が中学受験ということもあってサービスしてくれたんだと思う。幸せだった。
中学1年のクリスマス・・・・。
小澤征爾さんが目白のカテドラル大聖堂で第九を指揮するコンサートがあった。
真っ先にチケットを手に入れた。僕のお袋の従兄弟がここで司祭様をしていて「さっちゃん、リハーサル見せてあげようか?」といってくれて、コンサート当日、こっそり客席に誰もいない大聖堂に連れて入ってくれた。
見つからないように後ろの柱の影で息を殺してリハーサルを覗いた。
小澤さんが出てくるまでどれくらい時間があったろう?
大聖堂は寒く、吐く息が真っ白で緊張してた。
小沢さんが現れると心臓の鼓動が上がる。
指揮台で支持を飛ばしながら颯爽とした指揮姿は当事の僕にとってかっこいいなんてもんじゃなかった。僕の体はどんどん熱くなって行く。
そのうち全身に鳥肌が立って、それまでの「指揮者になりたい」という夢が「絶対指揮者になってやる!!」と体全体で決心に変わっていったのを良く覚えてる。
あの時の鳥肌は、それまでの人生で最高のクリスマスプレゼントだった。
そして今でも大切な宝物だ。
あれから指揮者の夢を一直線に追いかける。
高校1年のときオーケストラを結成してあこがれの目白のカテドラルでクリスマスにコンサートを開く。といっても大聖堂はもちろん無理で地下聖堂。
でも、200人の席は一杯で嬉しかった。このとき、当時大学生の指揮者の大友直人さんがすっごく生意気なヤツがいると噂を聞いて聴きに来てくれてた。
ずいぶん後になって大友さんから聞いてびっくりした。
最近一番嬉しかったのは、去年BBCフィルのセカンドヴァイオリンの首席奏者のボブからのメッセージ。
「悲愴(チャイコフスキーの交響曲6番)は今でもサチオの指揮がベストだよ」
イギリスのあらゆる一流オケで名指揮者と共演してきた彼がくれたこの言葉は、最高のクリスマスプレゼントだったし、本当に嬉しかった。
皆さんはどんなクリスマスになりそうですか?
それでは皆さんコンサートで会えるの楽しみにしてます!
18日は城陽の第九。城陽は関西フィルとの第二のホームグランドみたいなものでホールの音響は関西でも最高クラス。来たこと無い方是非着てみてください!!ロビー周辺の雰囲気も最高です。ニューイヤーコンサートもあります!!
23日のシンフォニーホールは早くから補助席まで完売でチケット買えなかった方達ごめんなさい。
本当に今年もたくさんの応援ありがとうございました!!
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散歩がてら大好きな六義園に行く。紅葉はまだ終わってなくて綺麗だった。ここにいると都会を忘れられて、イメージトレーニングに最高。 |
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僕が最近お気に入りの近所(六義園のそば)の小料理屋さん。「お母さん」と呼んでるお女将さんの手料理は最高で夕方早い時間にカウンターでゆっくり夕飯を食べてリラックス。「お母さん」は僕の幼稚園の先輩で今でも日曜はバレーで汗を流してる。素敵な女性です。 |
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