皆さんこんにちは。お盆はどうお過ごしですか?
僕はシベリウスにどっぷり浸かってます。20日の「Meet the Classic Vol.11」でシベリウスの2番を取り上げます。この曲はずいぶん取り上げてきたけど関西フィルとは2年前の定期以来2度め。
以前にも書いたけど、この曲には特別な思い入れがある。
僕の師匠の故渡邉暁雄先生の十八番であり(先生のお母様がフィンランド人だった)、先生の内弟子時代にしょっちゅう先生の指揮する2番を見聴きすることができた。
日フィルとの九州、四国、北海道などの演奏旅行にこの2番を取り上げていて、僕はカバン持ちで先生にくっついていたから色々な思い出が染み込んでる。
特に亡くなられる2年ほど前からは先生の「2番を振るのはこれが最後かもしれない・・・。」というような気迫が毎回伝わってきた心打たれる演奏だった。
先生が最後の演奏会で振った曲もこのシベリウスの2番だった。
また、イギリスはシベリウスを最初に高く評価した国で、シベリウスをとても大切にしている。
シベリウスもイギリスで自分の作品を何度も指揮しており、その伝統がイギリスのオーケストラに残っている。
僕がハレ管の定期デヴューにシベリウス1番を選んだ時も、ボーイング他随分色々な事を教えてもらった。
このとき古参の団員から面白い話を聞いた。
ある、今は亡くなった有名な指揮者が若いときに、ハレ管にシベリウスの2番を振りに来た。リハーサル中にシベリウスがそっとリハーサルを覗いていた。その若い指揮者はアンサンブルが難しい何箇所かに時間をかけて練習していた。それを見ていたシベリウスは「アイツは何もわかっていない」と怒ってホールを出て行ったそうだ。
シベリウスはすごく合いにくい書き方をするところがあってそれはワザと合わない音が欲しくて書いてるのだ。
ところで僕のイギリスの師匠サー・チャールズ・グローブスの亡くなる直前のコンサートもリヴァプール・フィルとのシベリウスの2番(素晴らしく感動的で今でも耳と目に焼きついてる)。僕はこの曲には運命的な何かを感じる。
シベリウスは非常に祖国愛の強かった人で、祖国の自然を愛し、酒癖が悪くて凶暴になることがあった反面、とても優しい人だった。
この2番はまさにロシアの圧制が強くなったときに書かれていて、そこには明らかにロシアに対する祖国への熱い想いがこめられいると僕は信じている。
最初イタリアで書き始められた。北欧人にとってのイタリアは魔法の国のようで、イタリアの自然や教会音楽の影響が見られたりするが、フィンランドに戻ってこの曲を書き上げ、さらに大幅な改訂をしたというから、その時点でイタリアに影響されてる部分より祖国への想いが強くなったのかもしれない。
1楽章の聴きどころはなんといっても展開部で見える心の叫びや弦のユニゾンで奏される大地のようなうねりだ。本当に素晴らしい。なんて素敵なメロディなんだろう!
2楽章は最もイタリアでの影響が残ってる楽章。それでもそこには暗闇の中での怒りや叫びが強烈にでてくる。酒を飲んで大声で叫ぶシベリウスがそこにいると僕は感じる。
3楽章はまるで嵐だ。しかし決して暗くない。海賊(北欧は海賊で有名)が嵐の中で笑顔を見せているよう。中間部のオーボエのソロは北欧人にはたまらなく郷愁を誘うらしい。以前、台湾でこの曲を振った時にスウェーデン人のお客さんがやってきてこのオーボエの旋律で涙が止まらなくなってホームシックになったと言われたことがある。
3楽章からなだれ込むように休みなく入る4楽章の冒頭のすばらしい力強いメロディ。この終楽章を聴いた初演当時のフィンランド人がどれほど勇気を与えられ熱狂したことか!祖国を熱く愛してやまない雄大で美しい音楽。
今まで関西フィルとシベリウスを随分取り上げてきたのでどんな音が出てくるかすごく楽しみ。
関西フィルと僕でしか出せないシベリウスの音をお届けします。それでは20日のいずみホール(完売間近!)でお会いしましょう!
2005年8月18日
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24歳の僕と先生と奥様。
日フィルとの四国旅行。写ってる僕が余りにダサいので載せるかどうか迷った。 |
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鎌倉のお気に入りのお寺で。 |
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深川の夏のお祭りに行く。
関西とはまたひと味違った
江戸の下町ッ子の夏だ。 |
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