皆さんこんにちは。
一ヶ月の休暇明けは、関西フィルと和歌山でスタート。
6月初めに関西フィルが毎年訪れる(僕は初めて)和歌山の開智中学・高等学校のみなさんとコンサートと毎年7月に共演の和歌山の合唱団とのリハーサル。
携帯用のお手紙で書いたけど、毎年この時期は7月の和歌山でのコンサートの準備・リハーサルで何度か和歌山を訪れる。和歌山はいつも真っ先に夏を感じさせてくれる大好きな街。
今年も東京は寒かったのに、和歌山はもう夏!。緑と潮の香りがして最高でした。
この後、兵庫の八千代町50周年コンサート。緑に囲まれ、小川が流れる本当に美しい町。
休憩時間に、外で思わずたそがれてしまった。
山に囲まれ、沢山の鳥達が美しい声を聞かせてくれる。遠くに鯉のぼりが雄雄しく舞っている。それもあっちもこっちもという感じ。日本はいいなぁと実感。このコンサートのために結成された合唱団は120人、良く頑張った。絶対また共演することを約束して札幌へ。
札幌は1年ぶり。去年も感じたけど雰囲気が明るく、音楽を真摯にでも楽しんで演奏してる、とってもお客さんを大切している素敵なオーケストラ。キタラホールの音響も素晴らしい。
今回の司会はなんとコンサートミストレスの菅野まゆみさんで喋りの上手さに脱帽。こういう企画はこれからのクラッシック界にとってとても大切だと思う。楽しかったです!ありがとうございました。
さて、来週の16日はいずみホール定期で僕の大好きなショスタコーヴィッチの6番。 僕がプロのオーケストラとの最初のコンサートで自ら選んだ曲だ(この時のお話はこちら)。
深く悲しいメロディを、木管・ヴィオラ・チェロで冒頭から奏でられるこの1楽章はショスタコーヴィッチの交響曲の中で最も叙情的だ。
この楽章がこの曲の半分を支配していて、そこにあるのは共産主義に苦しめられる悲劇と諦めだと僕は信じてる。
また、この楽章のオーケストレーションも特筆もの。無駄なものをそぎ落とし、弦楽器の各パートは入念に書かれ、各木管が悲しいソロを歌う。
僕の最も好きな箇所は、後半でEmajorのコードにのってホルンのソロがでてくる。それはまるで一筋の希望の光のように美しい。ここだけのためにチェレスタが効果的に使われている。
初演時には、作曲者自身「春や喜びや生命の気分をあらわそうとした」と述べてるけどそんな穏やかな曲ではない。確かにそうかもしれないが、それは苦しみから生まれたものだ。
二楽章で春の喜びのようなものは感じられるが、その一方で戦闘的であるし、めまぐるしく転調させて中間部で到達するティンパニのソロは、もしかしたら一楽章では見せなかった怒りの頂点かもしれない。
終楽章(三楽章)は、まるで何かにとりつかれた様なプレスト。そこには苦しみの中から生まれた生命力に溢れる。最後の「嘘だろ?」というくらい楽しいメロディは、ジャズや流しのジプシー音楽を愛したショスタコーヴィッチならでは。「苦しい、辛い、それでも音楽があるさ」と叫んでるようでもある。
この曲はなんといっても一楽章の悲しみに包まれた悲劇的な美しさをどこまで感じてもらえるか。そしてこの苦しみから生まれたプレストは何かにとりつかれたような生命力を表現できなければならないと思ってる。(以前、このプレストだけをアンコールに演奏した外国人指揮者がいて驚いた。そんな軽い音楽じゃないし、1楽章の悲しみがあってからこその音楽だ。)
前半はシベリウスの「カレリア組曲」。北欧の自然が目に浮かぶような演奏を目指す。
二曲めは世界最高のハーピストの一人といわれる吉野直子さんのソロで「アランフェス協奏曲」(ギターのオリジナル版が有名)。ギターのときは音が小さくマイクを使うけどハープは勿論必要ない。ソロパートのスケールがダイナミックに響く。吉野さんとの初共演も楽しみだ。
このホームページでいつも言ってることだけど「いずみホール」は建物も美しく音響も本当に素晴らしい中型ホール。ここでオーケストラを聴くのは最高の贅沢です。
まだ来たことの無い人には、是非足を運んで欲しいと思います。
それではコンサートでお会いしましょう!
2005年6月11日
|