ハイドン風に始まる一楽章のピッコロで始る☆軽い第二主題は、☆まるで☆戦勝気分の共産党当局をばかにしてるようにさえ感じる。2楽章は悲しいワルツ。メトロノームのテンポ表示は意外なほど早い。これは僕の推測だけどこの楽章の本質を隠すためかと思うほど。この楽章は悲しみ、恐怖、叫び。最後のピッコロのソロのなんと寂しいことか。クラリネットの悪魔的なソロで始る3楽章は打って変わって戦闘的だ。そして突然現れるトロンボーン・チューバの強烈なコラールで4楽章が切れ目無く始る。このパッセージはまるで支配する悪魔、スターリンそのもののようだ。そしてそれに続くファゴットの長いレチタティーヴォは民衆(作曲者自身かもしれない)の深い悲しみ、そして怒り、悲痛な歌。☆ファゴットのソロは深く沈み、ゆっくりと陽気な歌を歌いだし五楽章が始る。 (悲痛な悲しみを乗り越えようとするときショスタコーヴィッチは「悲しくても音楽があるさ」と陽気な軽いメロディを使うのは例えば6番の三楽章(終楽章)でも見られる。) 最後は地獄に落ちるようなクライマックスまで発展してその後に現れるのはまるで裸の王様の行進だ。その後軽快にこの曲は終わる。
いつもこの曲を振るとき、この曲の完成度だけでなく作曲者の勇気に本当に感嘆する。下手すれば死刑ものだ。東西の壁が崩壊する前にこの曲のロシア人の指揮者と☆ロシア人オケによる録音が極端に少なかったのもこの曲の本質をみんな知ってたからだ。30分弱の室内楽的といわれるこの曲の凄さが伝わるような演奏を目指します。
後半のドヴォルザークの7番もまた名曲。今日は初日のリハで飯守先生の練習を見学してきたけど、濃いですよー!本番はどんな形に仕上がるのかワクワクものです。勿論、大阪・東京と後半は客席で聴くつもり!
それでは皆さんコンサートでお会いしましょう!!
2005年2月24日
|