今年は関西フィルと5年目。音楽的な面で更にどこまでお互い成長できるか重要な年にしなきゃならないと思ってる。
新年はベートーヴェンでスタートした。田園と英雄、どちらも関西フィルとは初めてだ。
ベートーヴェンは本当に難しい。最近というかこの10年、古楽器のスタイルの影響を受けた演奏が多いが、デビュー当初僕も例外ではなかった。留学前までは強烈なトスカニーニ信者だった僕にとってアーノンクールやブリュッヘンは新鮮で、あっというまにのめり込んでいった。
僕はマンチェスター・カメラ−タ(室内管)のシェフになってすぐベートーヴェンのシリーズをはじめた。
カメラ−タの連中はすでにバロックで古楽器奏法をとり入れていたので、僕がシェフになってベートーヴェンにもそのスタイルを積極的に取りいれた。配置も対向配置に変えて、回を重ねるごとに色々試してみた。ティンパニやホルン、トランペットもできるだけ古楽器を使おうという話になったとき、はたと気がついた。これでは古楽器オーケストラを指揮したほうが早い。現代楽器のオーケストラを指揮するならば違う道を捜すべきではないか?
もう1つの疑問が沸いてくる。ベートーヴェンの音楽はそのスケールが当時のオーケストラの響きを遥かに超越してしまってると感じるようになった。(実際ベートーヴェンは常に新しい楽器を求めてたのは良く知られてる。)今、ベートーヴェンが生きていたらわざわざ古楽器のスタイルで演奏することを望むのだろうか?
さあこれからどうしよう?という時に日本で運命を6回連続で指揮をした。これが惨憺たる出来映えで、右側の髪が真っ白になるほどだった。(やっぱり右脳に関係あるんですかね?)。
ベートーヴェンに関して自分の方向を見失った僕は、それからしばらくベートーヴェンを避けてきた。
勘違いされたら困るけど、僕は古楽器のスタイルを取り入れた演奏を聴くのは大好きだ。なるべくいろんな人の演奏を聴くようにしてるし素晴らしい演奏にも出会える。ただ考え方の違いで、当時の響きや奏法を再現しようとした上での演奏に対して、僕は「今、ベートーヴェンが生きていたら?」と意識する。
去年から少しづつ自分の形が見えてきたので、今年からベートーヴェンを増やした。「奇抜ではないが新鮮な」演奏を目指すがこれが難しい。ただ中庸な音楽にもなりかねない。心がけてるのは埋もれやすい木管とのバランス、耳に慣れてしまったショッキングなコードをどう処理するか、フレージングの見直し、テンポ設定、ダイナミックス他限りない。何より生きたベートーヴェンの音楽には精神的な面が要求される。
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