彼がつくってくれたチャンスは、リハーサル嫌いなロジェストヴェんスキーの代わりにマーラーの2番をリハーサルするというもので、しかも彼がロンドンのマネージャー達に僕の宣伝をしてくれたおかげで幾つかのエージェントが見学しに来てくれた。(勿論、現在のマネージャーのニックもその一人)。
このリハが上手くいったおかげでその年の11月には定期演奏会でデヴューさせてくれて、次の年から副指揮者に。以降ロンドンデヴュー、ショルティのアシスタント、CD録音他沢山のチャンスをくれた。特にショルティの場合はアシスタントだけでなく彼の家に行ってレッスンしてもらえるようにしてくれたり、ショルティが来る一週間前に全く同じプログラムの放送録音(これがどんなに勉強になったか言葉ではいい尽くせない)させてくれたり、本当に素晴らしいチャンスをくれた。以前紹介した当時トレバーの右腕だったアンクル・ブライアンとともにいつも僕のことを気にかけてくれてた。
トレバーおじさんはその後奥さんがオーストラリア人であるという関係でオーストラリアに戻ってきてて、7年振りにやっと会えたわけだ。
僕がメルボルンに到着した日、早速ホテルに電話をかけてきてくれて、「明後日のリハまで待ちきれないから、明日一緒に朝飯を食おう」というわけで次の日、朝8時に再会。本当に嬉しかった。彼がはじめてマーラーのリハのチャンスをくれたのが今からちょうど10年前の93年の5月。とにかく色んな話しをして、勿論リハーサルとコンサートにも来てくれて、オトナになったとすごく喜んでくれた。コンサート後夕飯を食べたり、休憩のお茶を一緒にしたり・・・・。今も昼食を一緒にしてきたところ。今日は今後の僕の進むべき道について熱心にアドヴァイスをくれた。本当にありがたいことだ。これからはもう少し彼とはひんぱんに会えそうなので楽しみにしてる。
それともう一人、音楽大学で指揮科で一年上(年は3つ下)だったブラッドに偶然再会できた。彼は僕のコンサートの日に隣のオペラハウスでカルメンを振ってたのだ。ビックリ!
オックフォード卒の秀才。優秀なオルガニストでもある。音大を卒業してから彼は引っ越したりして連絡が途絶えてた。彼もロンドンフィルでデビューしたり、北欧、ドイツと活躍の場を広げてる。本当に嬉しい。学生時代は僕とポール(まだ紹介したこと無い?)と、このブラッドが指揮科の3人組で各学年一人しかいなかったのでいつもつるんで論争をしたり、パーティをしたりして騒いでた。(ついでに自慢しちゃうと3人とも奨学金特待生で、同じ科から3年連続は珍しかった)。お互いのコンサートの次の日一緒に中華街でランチ。話題はつきなかった。今日はこれから彼のカルメンを観にいくつもり。
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某僕の右隣がアンクル・トレバ―、その右がジョナサン、左の女性はシボーン。彼女はシドニーにいてオーストラリアに呼ぶアーティストを決める責任者。旦那のデイヴィッドも同じ仕事をしていて、初めて会ったときから夫婦で気にいってくれて今回もコンサートに来てくれた。
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滞在した部屋。オーストラリアはどこにいっても部屋が広いの出気持ちがいい。勉強もはかどる。夜はすること無いので毎晩8時には寝てた。
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