みなさんこんにちは。お元気ですか?
さて今月は1992年、今から10年前の冬のルーマニアの話をしようと思いま す。
今年の1月、スウェ―デンのノールショッピングの空港に着陸したとき、滑走路の一面に積もる雪を見て、初めてルーマニアを訪れたときを思い出しました。
僕がイギリスに留学したのが1990年の秋。 次の年の8月にイタリアのアッシジ に指揮者のマスタークラスを受けにいった。その時オーケストラが気にいってくれて92年
の2月に ルーマニアに客演することになった。
オーケストラは国立クルジ・ナポカ交響楽団(現在の名称は国立トランシルヴァニア 交響楽団)。ルーマニアで最も大きなオーケストラのひとつで、ルーマニアのクルジ
という街にある。
クルジはルーマニアの北に位置して、ハンガリーに近い。実際ハンガリー系の人が多 く、またルーマニアの文化の中心的な街だ(現地の人はロシアでモスクワに対する、ぺテルブルグに例える)。
とにかくそのクルジという街のオーケストラ、しかも定期演奏会で好きな曲を振らしてもらえるというので、ルーマニアから手紙をもらったとき、当時の僕は飛び上がって喜んだ。
初めてプロのオケのコンサートを指揮できる!
僕が迷わず選んだのは、ショスタコーヴィッチの6番。今でも最も好きな交響曲のひとつ。(1楽章の美しさよ!)。 前半はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。
ところがルーマニアにはこのショスタコーヴィッチの楽譜(各パートの譜面)が無いというので僕がイギリスで借りて持っていくことになった。
ロンドンでチェックインしたとき、大切に手荷物にしたこの楽譜を機内に持ち込ませてくれなかった(重過ぎたのだ)。 この時イヤーな予感がした。案の定、ブカレ
ストで荷物は来なかった。 仕方無くブカレストで一泊。インターナショナルのホテルなのに、あっちこっちの電 球が壊れてて暗い。なんだか不安になってくる(一緒にいたカミさんは平然として
た)。
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タクシーの“運ちゃん”の「パパ」とセイラ。
パパはいつも明るくて、笑いじょうごだけど、写真になると何故かニヒルを気取る。
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次の日、タクシーでまた空港へ。ところがこの時のタクシーの運ちゃんがすごく親切で、仲良くなってしまう。ちなみに彼は英語は全然話せない。でも雰囲気で意志の
疎通が出来た。結局この日も荷物が来なくて、なんとこの運ちゃんの家に遊びに行くことになった。
空港から彼の家まで直行。彼の奥さん(トルコ系の東洋人)、二人の娘が早くに帰ってきて、もてなしてくれる。長女のナルチスが英語でみんなに通訳してそれは楽しい
時間だった。お茶だけのはずが、夕食、お酒と盛り上がり、(この時は楽譜はどうでも良くなってた)。結局この日はパパ(運ちゃんのこと)の家に泊まることに・・
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次の日の朝、またパパと空港へ。荷物がやっと届く (なんと、プラハ、ヴィ―ンを経由してた)。
一緒についてきた次女のセイラは、悲しそうにしてる(もう一泊して欲しかったらしい)。 やっと届いた楽譜を手に、空港からクルジへ
飛行機に飛び乗った。
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今にも墜落しそうなプロペラ機(座席は自由。)で、コックピットからアナウンスがあると、周りのお客さんがニヤニヤして僕等をみてる。アナウンスの内容は「このフ
ライトにはめずらしく日本人が乗ってます」だって・・・・。ル―マニア人はとにか くフレンドリーだ。
クルジの街が見えてくる。それは全く予期せぬ銀世界だった。ブカレストでは雪は無かったので、衝撃が強かった。
楽譜が来なかったせいで一日遅れて練習が始まる。控え室で、オケのメンバーはこの曲を弾いた事も無ければ、聴いたことも無いと教えられる。大丈夫かなと思いなが
らホールのステージに向かう。マネージャーに紹介されて指揮台に立つ。弦はファースト ヴァイオリン16人の大編成だ。
ホールは寒く、吐く息が白い。一楽章の冒頭から指揮し始める。弦楽器の響きがなん と美しいことか!美しいだけでなくオケが、深く悲しく歌ってた。まるで彼等の曲の
ように・・・・。
一度も演奏を止めずに、この一楽章が終わる。
シーンとして る。メンバーの顔を見渡すと、ほとんどのプレーヤーの眼が潤んでいた。 共産主義に苦しめられた悲しさがこの1楽章を支配している。
この曲の魂が、冷戦終 結後のプレーヤーの心の琴線に触れたのだ。
生まれて初めて「音楽家になって良 かった!・・・・・。」と心の底から思うことができた瞬間だった。
演奏会は大成功で、次の年から毎年客演することになり、それは98年まで続いた。
ところで本番までの3日間、毎晩プレーヤーが夕食に招待してくれて、それはそれは
楽しかった。
特に世話になったのが、ホルンのダイアン。 お別れの時は奥さんのエミーリアと二人で泣いてた。
演奏会の次の日。今度は列車でブカレストへ。またパパの家で一泊。みんなで夜中 までワイワイ騒いで、ここでも涙のお別れをしてイギリスに戻った。
今でもブカレストのパパや、ナルチス、セイラ、クルジの ホルンのダイアン一家や、打楽器のニックとは連絡を取り合ってる。いつでも振りに来てくれと言ってくれてる。ナルチスとセイラは結婚したそうだ。
当時の冷戦直後のルーマニアはまだ西側文化に侵されず、人々もすれてなくてウブ で、心が洗われる感じがした。また僕自身、指揮者になる夢を突っ走っていた。
そして初日リハのプレーヤーの涙。今でもこの瞬間は僕の宝物だ。
あれから10年経った。
今年の1月、雪で白一色のノ―ルショッピングの街を飛行機から見下ろしながら、あの時の自分と今を比べてた。
あの時の音楽への思いは、今も少しも変わってない。むしろもっと強い。そして独り言「俺の指揮者人生はこれからだ!」。
生まれて初めてのプロのオーケストラとの演奏会がこのクルジでのコンサートで、い つかこのHP で書こうと思ってました。
長い文章最後まで読んでくれてありがとうございます。
さて来週(4月1日)からオーストラリア。パース(前回のパースはこちら)と、も
うおなじみのタスマニアでコンサート。その 後、名古屋に直行します。 名古屋の国際音楽祭のオープニング・ガラ。
その後25日は日フィルとハイドンの44番と「軍隊」。44番は傑作です。疾風怒濤のハイドンを目指します。会場のトッパン・ホールは新しく出来たホールで音響が素晴らしいというので楽しみ。
29日の関西フィルの毎年恒例となった「みどりの日のコンサート」は、日本で初めて振る幻想交響曲。 失恋した男が薬で自殺を図ったときの幻想の世界を繊細に、妖しく、そして激しく・・・・・。
それではまた! 2001年3月31日
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ホルン奏者のダイアン(右)。左が息子のアリーンとラドゥ。ダイアンの自宅にて。
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ダイアンとニック(ティンパニー)。丘からクルジの街を見下ろす。
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