「関西フィル第165回定期演奏会」
2004年6月25日 ザ・シンフォニーホール(大阪市)
指揮/飯守泰次郎 (コンサートマスター: ギオルギ・バブアゼ)
ピアノ/小菅優
モーツァルト/ピアノ協奏曲第9番「ジュノーム」
ショパン/夜想曲第20番「遺作」、前奏曲変イ長調
ブルックナー/交響曲第4番「ロマンティック」
(ノヴァーク版第2稿に独自の変更)
例によって藤岡さんが指揮をしない時、関西フィルは何をしているか(もっとおもしろかったりして(←おいっ))のレポートです。今回の指揮は関フィルのトップ、常任指揮者の飯守泰次郎さんです。なお、レポートが私にしては遅れているのは第1稿の掲載を止めてもらって改稿しているからで、文字通りブルックナーの作曲みたいな執筆状態です(苦笑)。
『大阪で、関西で、いや日本で、さらには世界において、プルックナーといえば”朝比奈=大フィル”がすぐに思い浮かびますが、飯守泰次郎もいまやプルックナーのスペシャリストと呼ぶにふさわしい、マエストロの一人です。』今回の演奏会で関西フィルの公式ページはこう語ります。今シーズンは関西のオーケストラ5つすべてがプルックナーを何らかの形でとりあげています。既に4月に大阪センチュリー響がザ・シンフォニーホールの企画の演奏会で4番を演奏し終えていて、関西フィルが2番手で同じく4番です(以下、大フィルが7月に8番、京響が9月に9番、シンフォニカーが来年1月に3番(いずれも定期演奏会))。プルックナー演奏回数が少ない関フィルに対して現在国内最高ともいえるプルックナー指揮者飯守さんはどう向かってゆくのか、というところも見どころかと。
モーツァルト/ピアノ協奏曲第9番
飯守さんの身のこなしは結構優雅だと思ったのですが、伴奏は結構ベッタリと重たかったと思います。奏者の数はちゃんと数えていないのですが、弦楽器は第1ヴァイオリンが少なくとも8人はいました(10人で演奏だったかも)。ヴィオラが6人、コントラバスが3人は確認しています。小菅さんの演奏は、黙って「私は私」というある種頼もしさがあった(でもオケとけんかするでもない)と思います。でも楽屋口でお見かけした感じは風景に溶けそうな普通のお嬢さんでした。オケの下がるタイミングとかで行き違いがあって(拍手がなかなか終わらない)会場から笑いが出たりしたのですが、なんとなく機転(?)も利かせてかアンコールは2曲というサービスでした。でも小菅さんは花束のお姉さんが舞台袖から出てきたのに気づかずアンコール1曲目を弾きはじめたのは最後まで気づいていないでしょう(^_^;)。
ブルックナー/交響曲第4番
私がこの曲を生で聴くのは2回目です。大フィルなら90人で何回も演奏しているはずです(1回しか聴いたことないですが)。伝聞ではセンチュリー響は60人弱だったそうです。今夜の奏者の数は約75人でした。第1楽章が始まる前から、楽章の切れ目も緊張感が舞台から流れてきます。もちろん指揮台の前に譜面台はありません。音はうって変わって澄んでいます。しかしそう易々とシャキシャキ進ませたり、高速で突っ切るような路線に走るようなことはありません。大音響で押し切るわけでもありません。第3楽章でさえも吠えない、否吠えさせないというようで、強引にメタセコイアの大樹を作るというより坪庭の中に宇宙を作る、飯守さんの自称「地味系」に偽りなし、です。気弱でためらいがちな苦悩する弱音の美。これを透明度は落とさず、なおかつドロリと聴かせるという手の込んだ職人技だと思いました。見た目はミネラルウォーター、味は濃くて野菜や肉や魚や香草…いろんな味がする不思議な料理という感じです。演奏する方は(もしかしたら聴く方も)大変じゃないでしょうか。あおりか金管が少し粗野になったかな、と。もう一つの難は余裕がないのが若干見えてしまったところでしょうか。同じく公式ページによると、『最も一般的な”ノヴァーク版第2稿”に基づきながら、シンバルとトライアングルを一部追加します。特に第4楽章ではグロッケン(!)を隠し味として静かに響かせてみたい。あくまで"こっそりと"ですがね。』とあったのですが、そのこだわりの第4楽章がまとまりがあって圧倒的に良く、追加部分は見事にはまり(7番の第2楽章は、シンバルとトライアングルはけたたましいと思うのでハース版を採りたい、と前に書きましたが、今回は追加しても全然問題ないです)、有無を言わさぬフィナーレで終了。闇を抜けてようやく射した光…とか書くと吉松さんの3番みたいですが、そういう風に疾走したりはしません。峠の頂点に達したところで眼下の風景の先に一条だけ見えはじめたヤコブの梯子(フリードリッヒの絵(文字通りドイツ・ロマン派)みたいだ)というところか。
楽屋口でCDにサインを頂いたあと、飯守さんから熱心なファンの人への話で、今回の変更は改訂(弟子がやったもののことか?)の流れを踏まえたものであるとか、ブルックナーのメロディとドイツ民謡との関連をみるとか、あるいは堂々とした演奏がブルックナーかというと本当の彼はそんな性格ではない、その彼本来の人間らしい(傷つきやすく引っ込み思案で素朴という等身大の、ということか?)ブルックナーを演奏します、といった趣旨がきこえてきました(かなりうろ覚え)。今シーズンまだブルックナーを演奏していない残り3オーケストラと指揮者のみなさん、かなり覚悟が要るんじゃないですか、という一夜でした。
以上です。
2004年6月28日 Fu(ふ)
いつも本当にどうもありがとうございます。
僕も飯守先生のブルックナーの4番聴きたかったなぁ。
実は僕この曲振りたくて、振りたくてしょうがないん
ですよ。
でも、まだ今はまだじっと我慢しています。
そのうち、絶対とりあげるつもりです。
藤岡幸夫