某米国人教師に「小野にはビルがない。OH! NO!」と言われた小野より
発信します。
こんにちは。他の皆さんのメールを見て、「何だ長くてもOk じゃない
か、ハッハッハッ」と一皮むけた小野っ子です。
で、さっそく少しだけ長め(まだちょっと遠慮気味)の質問をば。

今まで私は指揮をとる際、最も重要なのは内にあるイメージだと思っ
ていました。
自分の想う曲、内から生ずる曲を高め構成し外へ出す。作曲家や音楽、
時代等を調べるのは内なるイメージを造りやすくする為、インナース
ペースに入りやすくする為の一方法で、だから芸術の世界には“秀才”
というものがいないのだと。
ところがショルティについて語られたレターを見て?となりました。
最も重要なことは作曲家の想いを再現することなのですか?
まあ、違う人間である以上、その作曲家にはなれないし、同化できた、
と感じるのも自己満足にすぎないわけですから結局同じことなのかも
知れませんが。

もし自分のやりたい曲とスコアが語り掛けてくる曲とに相違があった
場合どちらを選ぶのでしょうか。そんなことは有り得ないのですか?
何だか他にも派閥というか音楽界の常識、しがらみというか、いろい
ろ制限があって自由な演奏ができにくいような印象をうけました。
“新しい物を創る”というのは演奏の世界では許される行為なのでし
ょうか。
音楽ファンであれば分かっている基本的なことなのかもしれませんが、
「底辺」層に属する私には ??です。よろしければお教え下さい。



          平成12年11月7日
          小野っ子




はて? なんでショルティの話からそう感じられたのか
良くわかりませんが、基本的に演奏者(指揮者)は
作曲者のやりたかったことを充分理解した上で自分の
感じたものを表現します。
その結果、作曲者がイメージしたものと違う場合もある
でしょう。
それがいいかどうかはケースバイケースです。
ちなみに吉松隆さんにいわせると、僕は最も何も(指揮
するにあたって)吉松さんに質問しない指揮者だそうで、
僕も自分の信じた通りに指揮してます。
吉松さんのイメージしたものと違うときもあるようですが
その演奏に説得力があれば、そのほうが彼にとっては面白
いそうです。

PS
ショルティにレッスンを受けたからといって全て彼の言う
とうりに指揮するわけではありません。
ただあれだけの指揮者ですから、学ぶことはたくさんあり
ます。それを自分なりに消化するのです。


藤岡幸夫

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