From Sachio
Updated 2005.9.3

皆さんこんにちは。
今、電車で琵琶湖に向かってます。
この前は、「夏が名残惜しくて勉強に集中出来ない」なんてけしからんことを書いてしまったけど、あの後ベートーヴェンとシューマンの世界にどっぷり。いつのまにか夏をあきらめてた。
運命も田園も何度も振ってるけど、連日ははじめてで、改めてこの同時期に書かれた二曲のコントラストを鮮明に感じる。若い頃は、運命は闘争から勝利に向かう内面的な心の部分が強い曲で、田園は自然を見事にオーケストラで表現された曲と安直なイメージをもっていたけど、本当は(語弊があるかもしれないが)逆だと思ってる。 運命は当時の政治世界に対する感情的な部分があるにせよ、理性によって見事にコントロールされた作品だと思う。
一方、田園は非常にプライベートだ。当時激しい恋が終った後だったがその直後、子供が三人いる(旦那とは別居中)の侯爵夫人の屋敷の離れに住み始めた。この二人が恋愛関係にあったかどうかはいろいろな説があるが、この侯爵夫人は、ベートーヴェンの音楽を最も理解していた女性と言われ、彼の大きな支えだったことは間違いない。田園のスコアを読んでると自然への深い愛情だけでなく生きることの喜び、人を愛することの喜びが素晴らしいオーケストレーションを通して(良い意味で)感情的に伝わってくる。最終楽章のヴィオラ、チェロが歌い上げるメロディは美しい自然と新しい恋に歓喜する歌声のようだ。他の楽章からも自然描写だけでない心の声がはっきり聴こえてくる。いずれにせよ耳が聞こえなくなりつつあるという苦しみを強靭な精神力で乗り越えていたベートーヴェンは本当にポジティブで幸せだったのだと思う。
それに比べてシューマンはなんて辛かったのだろう。精神疾患に犯された直後の二番。ハ長調が苦しく切ない。同じハ長調で終る運命とこうも響きが違うものかと心を奪われる。ベートーヴェンに比べてオーケストレーションや語法は上手いとは言えないけど、シューマンの心がダイレクトに伝わってくる。コードの使い方も「えっ?」というところに短二度の不協和音があったりして精神の不安定さを感じる。二楽章のコーダのテンションの高さは病的だし、その後の三楽章は悲しく辛い。(後半で調性が三度下がるので苦しみは落ち着く。この調性感って僕は大好き)。
もっと書きたいけど、もうすぐ長浜です。今日が運命、明日が野洲で田園。どちらも満席!ありがとうございます。明後日から、スウェーデンでシューマンの二番。
それでは皆さんまたコンサートでお会いしましょう!
    藤岡幸夫

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