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2009年4月分


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2009/04/28



モーリス・ラヴェル
1875 - 1937
   ラヴェルの 「ダフニスとクロエ」 と 「ラ ヴァルス」 の話


 ラヴェルは音の魔術師だ。そのオーケストレーションは色彩豊かで繊細にして華麗。29日の定期ではラヴェルの対象的な2曲を取り上げる。

 「ダフニスとクロエ」 はラヴェルが34歳の時にバレエのために書かれた大作で今回取り上げる第2組曲はその最後の第3部にあたる。(関西フィルと定期で取り上げるのは二度め)

最初の 「夜明け」 はラヴェルの作品の中で最も美しい音楽の一つで、繊細にして雄大だ。メロディの美しさも素晴らしいがその背後で 「岩から流れる露が集まった小川のささやき」 を冒頭から順番に木管やハープにチェレスタ!それにヴァイオリン等が奏でるのが効果的だ。そしてピッコロやフルート、それに3人ヴァイオリンソロの鳥達の声!

その絵画のような色鮮やかな音の世界は魔法だ!
僕が一番好きなのは、海賊に捕われたはずのクロエが逃げて帰って来てダフニスの腕に飛び込む場面。

切れ目なく演奏される2曲めの 「無言劇」 ではフルートのソロが活躍する。(話の内容等はプログラムを参照してください)。またこの 「無言劇」 では弦楽器からどれだけ甘くてしっとりしたフレンチなサウンドを引き出せるかが勝負。

切れ目なく最後の 「全員の踊り」。ここではどこまで各パートのバランスをとれるかが重要。バランスがうまく取れれば転調がより鮮やかになる。但しそればかり気にすると熱狂的でなくなる。
冷静に大乱舞できるかどうか・・・・・・本番が終わるまで分からない曲なのだ。


 ところでラヴェルはマザコンだった。そして母親を失った悲しみから一生立ち直れなかった作曲家だと言われてる。


 ラヴェルが大好きだったヨハン・シュトラウスのウィンナワルツへのオマージュとして 「ラ ヴァルス」 を着想(最初は曲名は違った)し始めた頃、世の中は不安の暗闇に包まれていてついに第一次世界大戦が勃発。
ラヴェルは決して屈強な体格ではなかったのになんと軍隊入りを志願して入隊。
その2年後に最愛の母親を亡くし、その深い悲しみと戦争の悲劇で彼自身深い暗闇の中に落ち込んでしまう。ひどい不眠症に襲われて苦しむ日々が続く。

そして終戦の翌年に完成された(ラヴェル45歳) 「ラ ヴァルス」 の冒頭は深い闇からの訴えのように始まる。
鮮やかなオーケストレーションと変幻自在の調性・・・!
最初は優雅だったはずのワルツはやがて狂ったように旋回をはじめ最後は叫びを上げ・・・発狂する・・・!強烈な音楽だ。

この音楽はまるで絵画のように鮮やかで雄大な 「ダフニスとクロエ」 とは全く対極にある音楽だ。


 実は今回この2曲を並べて取り上げるのは初めて。

最初に指揮する 「ダフニス」 の方が編成も大きく調性も安定してるからオケも鳴りやすいし繊細な部分も色を出しやすい。「ラ ヴァルス」 の方が難しいし鳴りにくい。それに緻密に書かれた繊細なオーケストレーションの音色のコントラストをどこまで出せるか・・・。

下手すればお客さんに 「ダフニスの方が良かったね」 と言われてしまう。

実は 「両方良かったね」 と言わせるのがすごく難しい・・・けど以前からどうしてもこのプログラムをやってみたかったのだ。


さてさてどうなりますやら・・・・・・

お楽しみに!




   藤岡 幸夫


2009/04/22   「Sachioの独り言」


 かみさんも退院(快復まではまだ時間がかかりますが)して、今週から来週の関西フィルとの定期(4/29)の勉強に集中。久しぶりのフレンチプログラムで勉強しててすごく 新鮮!

今日は勉強の合間にかみさんの代わりに初めてスーパーで買い物。
紙切れ片手に 右往左往してやっと全てを見つけて帰宅。
ところがかみさんにめっちゃ怒られる。
美味しそうで買ったしゃけの瓶詰と梅干の値段があり得ないくらい高かったらしい・・・。
旨そうなやつを買ってきただけなのにね。
次回から値段をチェックしてから買い物かごに入れるように厳重に注意された・・・。
やれやれ・・・・・・。

 次回は今度こそラヴェルの話をします。


   藤岡 幸夫

2009/04/20   「Sachioの独り言」


 僕はたまに息抜きで神保町の古本屋街をぶらぶらする。一昨日、神保町でなんと1976年版の 「FM fan」 を見つけた!僕が中学生の頃から愛読していた雑誌で涙ちょちょぎれとはこのことだ。

ところで昨日は以前紹介した僕の小学校の同級生2人と、その2人と僕の共通の友人宅で4人組の二度目のパーティー。彼の家は成城学園にあってすごく懐かしかった。

僕は高校生時代に成城学園にはよく通った。
授業をさぼってしょっちゅう成城大学へ小澤征爾さんと新日本フィルのリハーサルを見に行ってたし、当時僕が付き合ってた彼女が成城学園に住んでいたのだ。

僕は音楽好きのみんなに見せようと 「FM fan」 を持って行ったのだが、成城学園前駅に向かう小田急線の中で 「FM fan」 をパラパラめくるなんて30年前そのままで、朝から晩まで指揮者になる夢を見ていたあの頃にタイムトリップしてしまった。

4人組のパーティーもすごく楽しかった。

かみさんの退院の日取りも決まっていい日曜日でした。

乾燥機はどうしたかって・・・? 何のことはない、干した後匂いがしない洗剤見つけたので乾燥機は買いませんでした。


 それでは皆さんコンサートでお会いしましょう!


   藤岡 幸夫



2009/04/18


   「スコア(楽譜)」 の話


 今でこそ回数は減ったが、僕は現代の作曲家の作品を指揮する機会が多い方だと思う。特にBBCフィルの副指揮者時代は放送用録音などで沢山の現代の作曲家の作品や新作を指揮した。関西フィルでも毎年のように新作や現代作品を取り上げてきた。


最近の作曲家は楽譜をコンピュータを使って印刷することが多く手書きのスコアが少なくなった。



「吉松隆:交響曲第3番」は藤岡さんに献呈された情熱溢れる大作。発売された年のタワーレコードクラシック部門ランキングで邦人アーティスト最高位にな った藤岡&BBCフィルハーモニックのアルバム。

例えば吉松隆さんが僕に献呈してくれた交響曲第3番のスコアは手書き。この大作の音符全てに吉松さんの情念が込められていて、その強烈なパッションが書かれた音符の風景から伝わってくる。


確かにコンピュータで印刷された楽譜は読みやすいのだけど、時々手書きのスコアが恋しくなる。


ところで今年に入って取り上げた現代の作曲家の作品のスコアは珍しくみんな手書き! 作曲家の気持ちが伝わってくる。


2月に東京フィルで取り上げた江原修さんとギプスという英国作曲家の作品のスコアは両方とも手書き。

江原さんのスコアは畳一畳くらいの大きなスコアで膨大な音符の数だが(その作業を想像しただけで作曲家の思いが伝わる)とても端正に書かれていてすごく読みやすかった。
ギプスも作曲家自身の手書きによるスコアだが、その音符はなんていうかすごく優しい淡いタッチで書かれていて、人柄が伝わってくるようだった。


来月(5月)に冨田 勲さんの交響詩 「ジャングル大帝」(2009年改訂版)を日本フィルとCD録音するがこのスコアも手書きだ。
冨田さんのスコアのタッチはまるで少年のような生き生きとしたもので、すごく新鮮だ! 生命力溢れる音楽がそのまま音符の風景から感じられる。今から来月のレコーディングがすごく楽しみ。



「横浜開港150周年・神奈川県立音楽堂開館55周年特別演奏会」(5月30日)
そしてつい先日送られてきた5月30日に初演する一柳慧さんによるジャズピアニスト 山下洋輔さんのために書かれた新作、ピアノ協奏曲第4番 「ジャズ」 のスコアを開いてびっくりした。一柳先生の手書きの音符の美しさは尋常じゃない。
なんていうか背筋がゾッとするくらい美しい・・・!

一音一音をここまで美しく書き込まれた音符を見たのは初めて。

そしてその音楽は必要な音以外全てが削ぎ落とされていて、なにかとりつかれたようにジャズのリズムにのって強烈に迫ってくる。 またそこから弾きだされる和音の響きは、書かれた音符の美しさが怖くなるくらい・・・。

これは来月だけではもったいないと、一柳先生にも山下さんにも連絡せずにすぐ来年の 関西フィル の秋の定期で取り上げるのを決めてしまった。(山下さんには 「まだ音もだしてないのに」 と呆れられてしまったが快く来年も引き受けてくださった)。
5月30日にソリストの山下洋輔さんと神奈川フィルからどんな新しい音楽が生まれてくるかわくわくする。


ところで僕の恩師の故渡邉暁雄先生は 「僕たち音楽家や音楽関係者は過去の作曲家のおかげでメシを食えてる。その恩返しを今の作曲家にするのは我々の義務だよ」 と常々僕におっしゃっていた。

新しい作品や作曲家との出会いは素晴らしい。
指揮者冥利に尽きます。


 それではまた!

次回の 音楽の話 はもちろん4月29日の関西フィル定期で取り上げるラヴェルの作品の話をします。


   藤岡 幸夫


2009/04/14   「Sachioの独り言」


 僕は台所は女性の聖域だと思ってる・・・・・・じゃなかった・・・思ってた。

年間ホテル暮らしが220泊は越えるので東京にいるときは当たり前のようにかみさんに何でもやってもらっていたので、お恥ずかしい話だがトーストすら一度も焼いたことがないどころかトースターに触ったこともなかった(もっとも僕は和食党なんでご飯が多いですが)。


先日パンを焼いたら二枚連続で黒焦げ。なんとも情けない・・・。一昨日は奇跡的に目玉焼きを作るのに成功したが、今朝はゆで卵を二個失敗・・・トホホ・・・


今日は溜りに溜まった洗濯をしようと思って、はたと気がつくと乾燥機がない。知らなかった・・・

以前ホテルの部屋で溜まった下着を洗って部屋中に干したところ、乾いた後に雑菌の匂いがして結局全部クリーニングに出した苦い経験がある。同じ過ちは繰り返したくない。


今、使ったことのない洗濯機を回して頑張って洗濯物を上手く干してみるか、いっそのこと乾燥機を買いに行って、洗濯はそれからにするか迷ってる。


勝手に乾燥機を買った場合、かみさんは喜ぶのかそれとも無駄遣いと怒るのか?
その辺の女性心理が微妙で読めない・・・。


いずれにしても主婦は偉大だ・・・。


   藤岡 幸夫



2009/04/13


   「ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番と園田高弘先生の思い出」 の話


 この話はこのラフマニノフを取り上げた先月書くつもりだったけど遅れてしまいました。僕の大切な思い出です。



2003年 園田高弘先生と
僕が初めて、当時日本のピアノ界の巨匠と言われた故園田高弘先生と共演した時の曲目がラフマニノフのピアノ協奏曲第2番だった(日本フィルの九州公演)。

リハーサルの1週間ほど前に園田先生のお宅に打ち合わせに行ったが、その時の先生の教えてくださったことがすごく強烈で今でも鮮明に覚えている。


当時園田先生といえばドイツ音楽の大家と言われてベートーヴェンやブラームスが得意とされていたけど実は先生はこのラフマニノフの2番が大好きだったのだ。


先生のお宅に伺うと先生は早速ピアノを弾きながらたくさんのことを教えてくださった。


冒頭のピアノのソロを弾きながら先生は

「藤岡クン、これはね鐘なんだ・・・・・・遠くから鐘が聞こえてくるんだよ・・・」

冒頭ピアノソロのあとオーケストラパートの主旋律を歌いながら先生はピアノパートを弾き続ける・・・


「これはネヴァ河の大きな流れなんだ・・・!ここはオーケストラをたっぷり鳴らして!ピアノが聞こえたら何かの間違いだ。ここはピアノが聴こえなくていいんだ!僕がオーケストラにつけるから安心して・・・!」

ホルンのソロの箇所では
「ここは絶対急いじゃダメ!・・・目の前に雪で覆われた真っ白な大地が拡がる感じだ・・・!」
先生がオーケストラパートを歌うのでいつの間にか僕も先生と一緒に歌い続ける・・・

再現部では
「ここはね!まるで軍隊の行進のように!!」

先生は立ち上がって
「チャン!チャチャ、チャチャチャチャ、チャン・・・」
歌いながら膝から下を真っ直ぐ伸ばした行進をする・・・

2楽章を弾き終えた先生は

「・・・・・・とまぁこういうわけだ。名曲と言われる所以だ・・・。これはね男のロマンなんだよ。女の子のオセンチとは全然違うんだ・・・」

2楽章後半でピアノパートを弾きながらヴァイオリンのメロディを 「タリ〜らぁ〜りぃ〜」 と心をこめて歌う先生の声は今でも鮮明に覚えてる。


オーケストラとのリハーサルでもこの箇所ではヴァイオリンに向かって

「もっと(音を)出して!泣かせてちょうだい・・・!」 と要求していた。


オーケストラとのリハーサルで、3楽章のオーケストラが派手にアッチェレランドする箇所では

「藤岡クン!シンバルが(音が)小さ過ぎる!それに本当はもっと前に行きたいだろ?」

僕が 「ハイ!!」 と答えると先生は

「じゃあもっと(前に)いっちゃってよ!ここはサーカスだ!もっと派手にやってくれないとこの後出る気になれないよ!」


とにかく先生はラフマニノフが大好きでリハーサルも凄く面白かったし勉強になった。何よりこのラフマニノフの2番のイメージが大きく変わった。


日本フィルとの演奏会後に先生が 「藤岡クン、またやろう!」 と言ってくださって、関西フィルの定期でまたこのラフマニノフの2番を共演することが出来た。

この時の先生もリハーサルからスケールが大きく雄大で、後半の曲目は同じラフマニノフの交響曲の2番だったが、その演奏にも素晴らしい影響を与えてくださった。


そして園田先生はこの関西フィルとのラフマニノフの2番の演奏会を最後に天国に逝かれてしまった。


当時の先生はご高齢にもかかわらずいつも自分で荷物を持って、背筋がシャンとして歩く姿がすごく美しく今でも目に焼き付いている。


園田先生との共演はこのラフマニノフの2番の二回のコンサートだけだったけど、先生は僕の中に何か大きなものを残して下さった。

僕にとって特別な思い出なのでいつか書こうと思ってました。読んでくださってありがとう!


 それではまた!


   藤岡 幸夫



※2003年に園田先生と初共演したときのお話が
 旧公式ホームページ 「FROM MANCHESTER」 (2003/4/1) に書かれています。
※2004年に園田先生と再共演したときのお話が
 旧公式ホームページ 「FROM MANCHESTER」 (2004/9/26) に書かれています。

2009/04/09


 皆さんこんばんは。まずは6日の東フィルとのオペラシティでのコンサート、たくさんのお客様ありがとうございました!

東フィルの演奏は素晴らしかった!伊福部、外山作品での大和魂を感じさせるサウンド強烈でした。3日間楽しかったです!ありがとうございました。また10月に共演できるのを楽しみにしてます。


それからアンドリューをはじめ後半のスコットランド曲目の出演の皆さん、またとてもお世話になったスポンサーのRBSをはじめとするスタッフの皆さんありがとうございました!



 かみさんもかなり快復して普通に会話出来るようになってひと安心!皆さんに心配かけてしまって申し訳ありませんでした。

自転車で病院に向かう途中の東大沿いの大好きなコース。春の香りを満喫してます。

コンサート翌日から久しぶりのオフで時間に余裕あるので自転車で病院に通ってます。

桜が満開の時はまだかみさんがあまり良くなくて気分的にあまり楽しめなかったけど、昨日今日と自転車で春の香りを満喫してます。

ところで今日は20回目の結婚記念日。20年も僕の妻をやってたら結婚指輪は歪んで原形をとどめなくなってしまったそうで退院したら新しいのを見つけに行くつもりです。 とにかくかみさんの忍耐のおかげで仲良く20回目を迎えることができました。心から感謝です。

今回はこんな形で迎えることになってしまったけどこれも神様の何か意味があっての計らいかもしれないと思ってます。

久しぶりにゆっくり流れる時間を楽しみます。


2007年 典子夫人と
(by管理人)

2008年 典子夫人と
(by管理人)




それではまた!


   藤岡 幸夫


2009/04/02


 31日のオーケストラの日のコンサート前半は僕が指揮するはずだったのだけど、デビュー以来初めてキャンセルしました。楽しみにしてたお客様、それから迷惑をかけてしまった関西フィルの皆さん、本当にごめんなさい!それから後半だけのはずだった飯守先生が快く前半も指揮してくださり本当にありがとうございました!

コンサート前日に突然かみさんが入院してる病院から電話がかかって東京にすっとんで帰りました。

先週のかみさんの手術は女性にはよくあるもので何も問題なく退院直前だったのだけど突然腹膜炎になってとても危険な状態になってしまいました。僕が駆けつけた直後から緊急手術が始まりました。どうなるか心配だったけど昨日は意識も回復しました。

まだしばらくは集中治療室ですが順調に快復していきそうです。

東大病院の先生方やスタッフの皆さんに深く感謝しています。


 6日の東フィルとのコンサートは予定通り楽しみにしています。

 それから先週28日の関西フィルとの京都コンサートホールでの毎年恒例、日本フルハップのコンサート、たくさんのお客様ありがとうございました!とても楽しかったし、前半のソリストの山本君も素晴らしい才能で将来楽しみ。

毎年熱意を持って関西フィル&藤岡を呼んでくださる日本フルハップのスタッフの皆さんにも感謝です!

 それでは皆さんコンサートでお会いしましょう!


   藤岡 幸夫


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